この記事の公開日:2023.04.29
▲手前の田園地帯が布師田地区。東京ドーム99個分の広さがあり、1,400人(2023.3現在)が暮らす集落である。なお奥の橋から後方の近代的なビル群は隣の地域である。ちなみに、この地名に疎い人々から「ふしだ?」と聞かれる事が多いが「ぬのしだ」が正解です。布を縫製する布師が多く住み国分川の恵みを受けながら広大な田園を開拓し発展してきた事から、布師田と言う地名になったといわれている。
▲高知市の最東北部に位置している布師田は、現在は大きな店舗がひとつも無いが、かつては旧土佐郡の中心地であり、参勤交代や遍路道としても利用される交通の要衝だった。そのため史跡が多く遺されているのだが、この事実はあまり知られていない。(※点線部は、牧野植物園がある五台山)
▲上記のモノクロ写真を CG加工(着色)したものが次の写真だ。如何だろうか!?
▲その昔から、布師田地区を東西に分けながら流れる国分川は浦戸湾まで続く。田畑の大切な水源と言うだけでなく漁場の川でもあったため、周辺に多くの自然の恵みを与えてきた。さらに、材木などを舟で運ぶ舟運の川でもあった。
▲国分川が地域にもたらすのは恵みばかりではない。周辺地域は、堤防決壊による甚大な水害に幾度となく見舞われてきた。その度、大規模な護岸工事が行われてきた。しかし、安全と引き換えに美しい趣のある光景は姿を消した。
▲現在の布師田橋と国分川。これはこれで、趣があるのかもしれない。
▲しかし、やはり遠目に眺め見比べてみると昔の方の写真の景色が趣がある。
▲写真では分からないが、山の袂を東西(写真では左右)に車一台がやっと通れる道路が横断し、生活道として活用されている。かつては参勤交代の御一行が通る街道で、送り番所(画面左)が設けられていた。
▲現在では一般民家となっている送り番所跡。通行手形のチェックをはじめ、出張役人の対応・公用の書状や荷物の搬送等の業務を行っていた。幕末に活躍した坂本龍馬や武市半平太等もこの番所で、手形のチェックを受けたといわれている。
国分川と田園
▲田園の中の所々で家屋が密集している布師田地区は、気温は年間を通して温暖で特に冬季には晴天が多いという特徴がある。地形は、大きく北部の山と南部の平地に分けられる。
▲布師田橋から川を少し上ったところにある葛木橋。昔は、洪水時に流木などが引っ掛からないようにするため沈下橋(潜水橋)となっていた。昔の写真を見ると、橋も低いが堤防も低いのがよく分かる。
▲水瓶である国分川との共存を常に図ってきた布師田地区。国分川の水は農作物の育成をはじめ、人々に豊かな恵みをもたらしてくれている。
▲現在とその昔の光景を、ほぼ同じ場所から眺めた光景の比較写真である。家屋が新しくなるのは当たり前だが、どこを切り取っても常に田園が映っている。そんな中、最も時代の差を感じるのが道路だ。旧道と新道の違いは一目瞭然。
農作物を無人販売する良心市は ここから…
▲今では全国どこでもお馴染みの良心市。道端で、とれたての野菜や花などが売られている。実は、これ布師田の石渕地区(先ほど紹介した送番所があった地域)にて50年以上前に始まったもの。
▲スペースは半畳ほどだが、でっかい恩恵を売り手・買い手双方にもたらしている。売り手は、形や傷などが原因で商品にならないものをお金に換えることが出来る。買い手は、新鮮な野菜や花などを生産者から安価に手に入れることが出来るという訳だ。
▲良心市は、文字通り信用第一で日本ならではの販売方法。もとを正せば、遍路道でお遍路さんに(旅の疲れを癒すため)お餅やミカンなどをお接待した名残りともいわれている。
布師田には あの有名な農園もある
▲布師田と言えば、某動画投稿サイトで活躍し今や全国区となったひろちゃん農園がある地区でもあるのだ。「何時までも元気で頑張って、ひろちゃん‼」
▲布師田の地図はこちらからご覧ください。(※外部リンクとなっています)
コメント
南国土佐を後にした県外在住の者です
古川柳にある「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」の如く老境に入り里心をもようしても出不精となり故郷へ足を向けることも少なくなりました
ふるさとの今を知るにはSNS頼りの身の上のところこのブログに行き会いました
布師田とはまたマニアックな!
いささか布師田にゆかりのある老生ですがブログ主のいう通り高知市内の人でも布師田に親戚か友人知人がいる人でないと布師田は「ふしだ」呼ばわりがアルアルで場所もあやふやな人がなんと多かったことか
名も所も売れてね~だったね
布師田に枕詞・冠辞を付けるなら「かわず鳴く」辺りが相応かと覚しき田んぼだらけの処という印象が通り相場
よそ様に自慢出来るような物はとんと見当たらないと思い込んできてたらギッチョンチョン!
坂本龍馬が通った番所(関所?)跡?・参勤交代の御殿跡・かつては交通の要衝だった?
音に聞こえた「ひろちゃん農園」も昔の街道沿い?
そういえばひろちゃん農園の画像に御殿跡やら金山城があったという山も背景に映ってたわ
ラインナップを見ると布師田に長曽我部元親・野中兼山・今注目の牧野博士に仁淀川とまるで皿鉢料理のようなてんこ盛りでのブログの開演
ゆっくり見せてもらうよ
ひょっとして春先に忽然と有注部から撤退してたあのオイラさん?
舞台を替えての高知のPR復活かな?
楽しみも復活となれば幸甚!
早速ご覧いただきありがとうございます。
仰るように、2023年2月まで某動画サイトにて同じコンセプトで配信していたOIRAです。
本日現在、Google や Yahoo! JAPANなどで「高知」+「OIRA」「土佐」+「OIRA」「南国」+「OIRA」等のキーワードで検索していただくと、上位に表示されることを確認済みです。
辿り着いてくださり光栄です。
諸事情により、突然チャンネル閉鎖という事態になってしまった事をお詫びいたします。
今回、高知に関する情報発信方法を変えることにはなりましたが、独自の視点と情報収集方法を駆使し、可能な限り正確な情報発信に努めて参ります。
これからもどうぞよろしくお願い致します。