この記事の公開日:2023.04.29
▲土佐國だけでなく、四国全域を制覇したといわれる長宗我部元親。今回は、土佐の戦国時代の歴史を語る上で欠かせない、彼が居城としていた岡豊城とその城があった岡豊山について紹介します。
▲岡豊山は高知市の東隣南国市にある小高い山のひとつで、平野に突き出た丘陵の形(※標高97m・東西1km・南北500m)をしている。現在、山に往時の建物は残っていないが様々な遺構が確認されている。
▲頂上までの山道の脇は春には桜並木となり、地元では有名な花見のスポットとなっている。
▲頂上の駐車場に掲げられた案内板。ここ一帯(頂上)は、城跡がある自然公園だけでなく、有名な元親像や歴史民俗資料館等が整備されている。まずは、城跡の散策をしてみよう。ちなみに、岡豊城跡は2008年に国の史跡に指定されており、さらには2018年に続日本の城100名城にも選定されている。
▲実にバリエーションに富んだ遊歩道は、それをただ進むだけでも飽きが来ない!?。というのも、この山城は丘陵の地形を生かし、敵の進入を防ぐため様々な知恵と工夫が施されているのを目の当たりにすることが出来るからだ。
▲尾根や斜面を造成した平坦地を曲輪という。そして尾根の高いところから順に、詰→二ノ段→三ノ段→四ノ段と呼ばれ、それぞれを結ぶ通路には様々な防御機能が設けられている。(※詰とは、城主の居所であり領地内の政治を司る拠点のこと。後の時代には本丸と呼ばれるようになった)
防御機能を備えた 造りの数々
▲城の出入口にある虎口(※向かって右側)。出撃口や物資の搬入口になるので、死守すべき場所であり敵からみれば出撃や物資の補給を絶つための重要な場所となる。そのため、城への出入口(※向かって左側)からは直接見えないよう、Uターンして設けられている。ちなみに土佐では、岡豊城で初めてこの虎口が採用された。
▲曲輪を取り囲むように掘られた横堀。虎口や四ノ段を守るために造られた水を張らない防御施設である。写真では斜面が削られており草も生えて分かりにくいが、本来は幅が2.5m以上あった。
▲四ノ段は南北に分かれている。但し、南部では建物跡は未確認である。
▲姿形が特徴的な三ノ段。写真の右手に、詰への通路となる階段が見える。礎石建物跡からみると、幅いっぱいに建てられていたようだ。横の石積は、径20~30㎝の割石が1mの高さまで積まれ、その下部には排水路も遺っている。
▲この城跡の中では、かなり広い二ノ段。周囲は進入する敵を防御する土塁が遺っている。元々は、幅3m・高さが1mあった。この広い空間は、兵溜りの場所だったといわれている。
▲写真の上部に見えるのは、尾根から侵入してくる敵を防ぐため掘られた堀切。草が生え分かりにくいが、本来幅3~4m・深さ2m前後であった。一方、手前は井戸といわれているが、底が岩盤で出来ているため実際には雨水を溜める溜井だった。
▲詰の東側に設けられた詰下段。二ノ段から詰への出入口を守るため作られた小曲輪である。
ここが主役の 詰ノ段
▲岡豊城の中心となる曲輪の詰である。1辺が40mの三角形状になっている。天守があったため眼下に広がる香長平野の眺望は絶景である。もちろん、先ほど紹介してきた二ノ段・三ノ段・四ノ段等は、この詰を取り巻くように作られている。
詰を守る出城
▲詰の西南に位置する出城である伝厩跡曲輪。30m×17mの楕円形をしている。西方からの攻撃に対し、本城を守る出城として重要な位置を占めていたといわれている。前方には金山城跡が、また眼下には国分川も見ることが出来る。
岡豊山からの 眺望
元親と城
▲長宗我部元親の晩年の姿と、期間限定(イベント)で登場した天守。元親は安土桃山時代の大名で、岡豊城を拠点に土佐國を統一し、その後、阿波・伊予・讃岐に侵攻し四国を制覇していった。ところで元親の容姿は、皆さんが思っていたのとは随分イメージが違うのではないだろうか!?
▶これについては、次の土佐日記(コラム)で解き明かすことにしよう。
コメント
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岡豊山は登って眼下四方を見渡すと長曽我部氏が居城とした理由がわかる気がするね
香長平野の東端から西は現在の高知市の果てまで一目瞭然香長平野の南端を真正面に睨み岡豊山は四国山地の南端に位置して北は自然の防壁の役目をなして土佐の中心部に蟠踞するには最適だったんやろうねえ
土佐湾から浦戸湾内へ攻め込まれても岡豊山は程よく距離があるし土佐湾外海とは膝下の国分川の水運が使えるし陸からでも海からの侵攻を受けるにも攻め出して行くにも要害要衝の地だったんかね
ここを根城に元親は四国を平定?他国にははた迷惑な土佐の蛮人やったんやろうねえ
往時の建物は何も残らずとも緊迫した戦乱の世に生きた覇者の居城という造りだったことが今に残る地形遺構などで偲ばれる処やね
今は静謐となった岡豊山には桜がお似合いよ
今を去る半世紀ほど前のこと岡豊山に野外のアーチェリー場がありインストラクターのお嬢さんに妙技を見せてもらったことがあってね
何十メートルも先の点にしか見えない的に向かい山頂を飛び越すのかとばかりに中空へ放った矢が放物線を描いて山腹の的のど真ん中に吸い込まれていったのよ!試射なしで!
一緒に見た友人と息をのんだね
彼女にアーチェリーで狙われたら視界がきく処では逃げても無駄と思わす超絶技
外国の大会に出て優勝したと後日ラジオで聞いてさもありなんと合点したわ
武人の居城跡に似つかわしい達人に出会った貴重な体験だったな
いつもありがとうございます。
岡豊山の眼下を流れる国分川は、自然の要塞となっていました。
昔は現代のような便利な機械がなかったので、自然を上手く活用していたんですね。
その見事さに頭が下がります。