この記事の公開日:2023.04.29
▲日本植物分類学の父といわれている牧野富太郎(1862-1957:享年94歳:数え年)。その生涯を終える直前まで毎日研究することを止めなかった一人の漢。彼は生涯において、標本40万枚・蔵書45,000冊・植物の命名1,500種・出版200冊以上という偉業を成した。
▲彼が生まれ育った山間の小さな町:佐川町(旧:村)は、人口12,200人(2023.4.1現在)。今、全国放送によるTVドラマの影響で熱い視線が注がれている。そこで舞台となった町を散策し、佐川の町(上町界隈を中心に)の魅力をはじめドラマ撮影の裏側について、今回から3回にわたって紹介します。
▲一回目にご紹介するのはこちら、佐川の駅と生家跡を中心としたスポット。
佐川の町は 今…
▲佐川町は昔から桜の名所として県内では有名な地域で、町の至る所に植栽されており人々の目を楽しませてくれる。自家用車が発達していない時代、移動手段は列車がメインだった。写真は駅に降り立った花見客たちで、小さな町が賑わっている当時の様子が伺える。
▲現代では、移動手段のメインをマイカーが取って代わり、列車は長距離移動時の手段として活躍を続けている。
▲特急が止まるJR四国:土讃線の佐川駅の歩道橋には、牧野富太郎の横断幕が掲げられ生まれた町であることをアピールしている。(※列車の先:沿線には桜の樹が見える)
▲駅構内をはじめ町中(※写真は一例)でも、富太郎が愛した草花をラッピングしたモノたちが出迎えてくれる。ちなみにシャトルバスは、2023年G.Wまでの「土・日・祝・5/1・5/2」の期間限定で運行されているもの。佐川町~越知町の主な観光スポットを無料で巡回している。(※シャトルバスは、許可を得て撮影・公開しています)
富太郎が生まれた家の界隈
▲上の写真は、酒蔵の道の中央辺りから富太郎生家方面を見た様子を比較したもの。突き当たった辺りが生家である。
▲TVドラマで登場した道がこちら。主役:万太郎(富太郎)が名教館への行き帰りに通った道として撮影された。ご覧のように電柱や電線・交通標識等、現代ならではのモノたちが幅を利かしているが、放映時にはCGで違和感なく、消去や合成等が施されていた。
▲富太郎は、実は幼少期「成太郎」と名乗っていた。3歳で父、5歳で母、6歳で祖父を相次いで流行り病で亡くした頃、厄除けと開運の願いを込め「富太郎」へと改名した。(※許可を得て撮影・公開しています)
▲富太郎の実家の屋号は「岸屋」と言い、酒造業と雑貨商を営む名の知れた豪商であった。なお、この地域では仁淀川の伏流水を使い酒造りが400年以上前から盛んに行われてきた。
▲富太郎の勉強部屋と、岸屋の酒蔵があったとされる牧野蔵。富太郎生家の酒蔵跡は、現在では地元(県内)大手の酒造会社の酒蔵(※右の写真)となっている。ちなみに、その酒蔵(煙突の下の建物辺り)の長さは85m(酒蔵の道の長さは200m)もあり、日本有数の長さを誇っている。
▲ほらね、確かに酒蔵の道の光景があるでしょ…
富太郎が生まれた家跡には…
▲酒蔵の道の西端(突き当り)には、富太郎の生家があった。(※酒蔵の道の東端は写真には写ってなく、左方向へRを描いている本ページの地図を参照)
▲生家跡には、この地が富太郎が育った町(旧:村)であることを紹介するための施設「牧野富太郎ふるさと館」が建てられている(※入場無料)。なお施設(外観)は、昔の写真をもとに出来る限り忠実に再現されている。
▲勉強(研究)に没頭するあまり、富太郎の部屋の中は(他者から見ると)かなり雑多になっていたそうである。写真では分かりにくいが、テーブルの上には分解した懐中時計も置かれている。(※許可を得て撮影・公開しています。なお、部屋の小物類の配置は資料を基にイメージとして再現)
富太郎の人生を変えた裏山
▲向かって左側が酒蔵の道、右側の階段が裏山(金峰神社)への道(裏山道)である。
▲金峰神社への階段は150段程あるが、幼い富太郎は気にせず毎日のように上り降りしていた。
▲金峰神社近辺には、富太郎が植物学に興味を持つきっかけとなったバイカオウレンや、椎の木が多く自生している。ちなみに、富太郎は椎の実を小石を投げて打ち落としていたそうだ。
▲幼い頃病弱だった富太郎は、野山を駆け回り植物採集に明け暮れる毎日を送っていた。そして、何時しか体質は健康になっていたというから驚きだ。祖母はそんな富太郎に植物の本を買い与え、自由に研究させていた。富太郎は、益々植物学への興味を広げていったのだった。
▲本殿が新しく見えるのは、1987年に火事に遭いその後再建されたため。但し、石で出来ている狛犬は難を逃れることが出来た。(※これらの様子は下の動画でご覧ください)
※撮影エピソード…この3回シリーズで掲載している現代の写真は、2022年5月上旬~7月上旬および2023年4月初旬(ドラマ開始前)に撮影したものを組み合わせて構成しています。撮影された画像には人々がほとんど写り込んでいませんが、今春は(団体・個人共)観光客で賑わっていました。大人の事情により、人々が出来るだけ写らないようにするため苦労したものです。
▲梅雨時の牧野植物園はこちら。
動画で知る 金峰神社
※TVドラマ撮影では、この階段(裏山道)辺りが使用されたが、神社の境内シーンは実際には千葉県内の神社で行われた。
コメント
佐川町は今春からの朝ドラで一躍名が売れたねえ
普段は静かな町やと思うけどこじゃんと来訪者が増えてうんと賑わってもらいたいね
昭和初期の佐川駅頭と花見客の写真は見入ってしまうわ
百年近く前やけど御維新から60年あまり過ぎている勘定やが昭和の御代になっても女性は日本髪を結って和服で男も着物姿ばかりで頭には中折れ帽子
明治中期生まれで昭和の半ばまで生きた老生の爺様も写真の男衆のような帽子を持っていて遠出するときには被っていたんじゃないかなあ
明治大正時分の男の流行り物だったのかねえ
けんど爺様は野良着姿で日々暮らした農家の人やったし流行を追うような性分でもなしオシャレというより単に日除けの意味合いの習慣でかぶっていたのかな
今はスポーツ系の帽子を日差し避けで被る他にはまず余程身だしなみを気にする人以外に中折れ帽姿の男衆は見かけないねえ
昭和の初めでも地方の人は外出の際の服装は男女ほとんどが和服姿でまだ洋服の時代じゃなかったということかねえ
一枚の古い写真画像でも情報量が多く興味が尽きんわ
この記事に使用している画像は、2022年5月上旬~2023年4月初旬にかけてオールシーズン訪れて撮影したものを組み合わせて構成しています。
当初訪れたときには既に朝ドラの放映について決定していましたが、お客人の姿はまだまばらでした。
それが今春(ドラマ放映開始の2日前)には、団体客をはじめ個人の旅人たちの姿が多く見受けられました。
やっぱりTV効果は侮れませんね。
仰る昔の光景の写真は、今春町中(上町辺り)を散策していた際、道端で偶然見かけたものです。
一度訪れただけでは素通りして分からなかった、小さな気づきがあるのも旅(再訪)の醍醐味かもしれません。