この記事の公開日:2023.07.24
(※プライバシー保護の観点から、個人が容易に特定できる全ての顔画像に加工を施しています)
▲絵師:金蔵(1812-1876・享年65歳)…1812年、高知城下で髪結の子として生まれた弘瀬金蔵は幼い頃から絵を描くことが得意だった。そして、二十歳の若さで土佐藩家老:桐間家の御用絵師となる。しかし三十代半ば、悪徳骨董商による贋作事件に巻き込まれその地位を追われ、御城下追放の身となってしまった。
▲その後、叔母の嫁ぎ先:赤岡の町に移り住み町絵師となり、地元の旦那衆に頼まれ芝居絵や台提灯絵・絵馬・凧絵等を描き、後に二つ折りの屏風に絵を描く「芝居絵屏風」と呼ばれる独特の様式を生み出した。絵師:金蔵(通称:絵金)の誕生である。
▲絵金が生きた幕末当時の民衆の楽しみといえば、歌舞伎や浄瑠璃そして神社の祭礼だった。そこで、店構えが大きい商人たちが神社へ寄進するため絵金に依頼したのが芝居絵屏風なのである。やがて彼の絵は評判を呼び、土佐の各地から依頼されるようになっていった。
▲彼は晩年になると病で右手の自由を奪われてしまったが、なおも左手で作品を描き続けたという。
▲ちなみに彼の絵は、1972年放送開始のTV時代劇「必殺シリーズ」のオープニング映像に度々使われた。その後には、全国に「絵金」という名が知られるようになっていった。
土佐赤岡:絵金祭りの概要
▲金蔵が町絵師として人生後半を過ごした赤岡町。絵金が晩年を過ごした町では、毎年7月中旬の土・日(二日間)の晩に「絵金祭り」が行われている。祭りは1977年、地元商工会の青年部の発案により商店街の発展を願って始まった。なお、絵金に関する祭りでは県下一の規模を誇っている。
▲絵金の屏風絵23点が、かつて町内のある民家に保存されていたのが発見された。ゆえに土佐赤岡祭りでお披露目される絵はもちろん全て本物であり、2009年には高知県の保護有形文化財に指定されている。(詳しくはこの記事の後半で…)
▲物静かな町の通りを会場に繰り広げられる絵金祭り。今回は、2023.7/15・16の二日間開催された「土佐赤岡絵金祭り」の光景を、他のサイトでは見られない様々な視点で切り撮ってご紹介します。(※記事内容は独自の取材の結果を元にしており、他のサイトでは紹介されていない内容も含まれています)
▲人口が2,400人(2022.5時点)で、2006年2月までは(自治体として)日本一小さな町だった赤岡町。絵金祭りの二日間には、県内外から20,000人以上が訪れ、とんでもない賑わいを見せた。(※祭り自体は18:00~21:00・屏風絵の展示は19:00~21:00)
交通手段と 交通事情はコレだ‼
▲遠方から会場への主な交通手段は「車」と「鉄道」となる。祭りといえば、車を停める場所が重要なのだが、予めネットで調べた限りではどんなに調べても具体的な場所が分かりにくかった。ゆえに現地で独自に調べた結果がこれらの場所である。
▲もう一つの交通手段となるのが鉄道である。あかおか駅(土佐くろしお鉄道:ごめん・なはり線)では、やなせたかし氏作のキャラクター「あかおか えきんさん」が出迎えてくれる。
▲ちなみに、この駅には同線の各駅イメージキャラクターの全て(21体)が展示されている。(※キャラクターの足元には、時間帯により同線の列車が走るジオラマもある)
▲あかおか駅は、普段乗降客数が限られた静かな駅だが…
▲祭りの期間中はご覧の通り‼ この駅で1時間あまり避暑を兼ねて時間待ちしたのだが、この後も開始時間が近づくにつれ降客数が増していき「一車両分貸切⁉」と思えるような光景を目にした。
初めての絵金祭りに 心が酔い知れる⁉
▲駅から歩いて3分前後、会場内へ足を踏み入れたのは18時過ぎ。実は、この絵金祭りにやって来たのは生まれて初めてである。
▲想像以上の賑わいに驚くばかり‼(静か過ぎるともいえる、あの通りがね…)
▲時間の経過とともに辺りが暗くなってきて、雰囲気は絵金の世界に近づいていった…。
▲メイン通りも露地もひと・ヒト・人だらけで人に酔ってしまった(人混みが大の苦手なOIRA)。
▲静かに(落ち着いて)本物の屏風絵を見られると思ったのが甘かった。(※よく考えれば分かりきったことだが、考えていなかった)
土佐赤岡:絵金祭りの大きな特徴とは…
▲この祭りの大きな特徴は、①商店街や民家の「軒先」に、貴重な(本物の)作品を展示するという点。普段は絵金蔵(※後述)に収蔵している本物の作品を、惜しげもなく蔵から出して展示し住民たちが作品の解説をしてくれるのである。
▲そしてもう一つの特徴は、②作品を本物の蝋燭の灯り(※LEDではない)で眺めるという点である。これは、元々絵を描いた際、蝋燭の灯りで眺めることを前提に制作されたため。なるほど‼である。それにしても、これら(①②)は都会では考えられない取り組みではないだろうか⁉
▲さらなる特徴は、③学生ボランティアガイドによる作品解説がなされている点である。これは、絵金の魅力を若者へ(後世へ)紡ぎ行く手段の一つとして行われている。(※ちなみに、ガイドをする学生は卒業するまで繰り返しボランティアに参加するケースが多いそうだ)
▲(左写真)カメラマンたちが、通りで弧を描いて構えているわけは… 答え:(右写真)もう少し暗くなるシャッターチャンスを待っているから…。日本人って本当にお行儀が良い⁉
▲ちなみに、紫外線による作品劣化防止のためフラッシュ撮影は禁止されている。
突き刺さるものは…
▲小さな子どもだって、熱心に見る時は見る⁉ 絵に描かれている意味はまだ分からないかもしれないが、感性を養うことは老若男女に関わらずとっても重要なことだと思う。
▲見る・みる・そして眺める…その眼差しの先には各々の心に突き刺さるものがあるのだなぁ。
▲祭りといえば先ずは腹ごしらえ、何処でもお馴染みの光景である。OIRA「絵の展示は間もなくですよ~」(※展示開始時刻30分前の様子)
▲夕方の写真撮影の時刻から、1時間30分後の様子がコレ‼ この後、祭りの最後までずう~っと賑わっていた。
▲大人だけでなく子どもにも突き刺さるのはコレ‼ そう、楽しい・おいしい「屋台村」の光景。これぞ日本の祭りの姿だね。
屏風絵を収蔵する絵金蔵…恐ろしくも美しい魔除けの血赤
▲高温多湿な土佐の気候により作品が劣化しないよう、貴重な作品を大切に収蔵している絵金蔵。本物の全作品(23点)のレプリカを入れ替えて展示している(※本物の作品の所有権は町の各地区である)。元々は米蔵だったが、作品を後世へ遺していくため収蔵庫としてリノベーションされた。
▲間近で鑑賞する作品たちには、ご覧のように下から暖色系の照明(LED)が当てられている。(※光は通常上から当たるものなので、下から当てることで非日常感を演出している)
▲展示作品は2ヵ月毎に9点ずつ入れ替えられ、再び訪れた際には新たな作品を目にする工夫もなされている。
▲さらに作品の趣を活かすため、手持ち提灯の灯り(LED)で鑑賞するようになっている。何とも情緒あふれる演出ではないか⁉
▲作品のモチーフは、歌舞伎や浄瑠璃の中の一場面。泥絵の具を用いダイナミックな構図で、血しぶきが飛ぶ目を覆うような場面や、情念あふれる場面等が描かれている。中でも修羅の場は、闇の中で蝋燭の灯りに照らされ揺らめくことでその存在感を一層増してくる。(※強烈な血赤は、邪気を払う魔除けの色として庶民に受け入れられていた)
▲髪結の息子が、御用絵師から町絵師へと波乱万丈の人生を歩んだ「絵師:金蔵」こと絵金。彼の描いた世界観は現代でも見る者の心を掴んで離さない。
町を元気にする 弁天座
▲絵金蔵の前には、真新しい芝居小屋が設けられている。
▲それが、2007年に復活した芝居小屋「弁天座」である。元々は、大正末期に赤岡の旦那衆がお金を出し合って造ったといわれている。
▲当時は毎日のように、大衆演劇や映画等が興行されていたそうである。戦中・戦後の時期には、誰もが知る(今は亡き)有名俳優や、(今は亡き)有名歌手等が舞台に立っていたそうである。時は経ち、1993年からは地元有志により絵金の芝居絵に描かれている芝居が上演されている。
▲その他、様々な芸能文化を発信し続ける弁天座。小さな町のでっかい「町おこし」は今も、そしてこれからも続く…。
コメント
若年の頃目にした絵金描く芝居屏風絵の第一感は「怒っちゅうがぁ」てなもんやったな
恨み辛み・悲憤慷慨・何か鬱屈した感情をぶちまけた絵だというイメージやったわ
御城下のもめ事に巻き込まれ所払いになり赤岡に移り住んで絵を描いたというような話を聞いて映像を見たから先入観があったかねえ
ところで幕藩時代の土佐藩の「ところばらい」には罪科の軽重によって遠近があったみたいやね
絵金は赤岡ですんだみたいやけどよさこい節の純信は伊予の川之江お馬は当初安芸川以東で次に須崎へ野中兼山の家族は遙か国境の宿毛に幽閉
命はとられずともその悲哀はいかばかりであったかねえ
絵金描くおどろおどろしい絵がよく赤岡に残っていたもんよと不思議でならなかったけど今回のブログで合点がいったわ
恐ろしさを醸し出す血赤は邪気を払う魔除けの色として捉えられていたんやねえ
赤岡の方々が大事に残してきてくれたのも納得納得!
土佐の御城下を隔てることしばし赤岡は藩政時代から町人文化が豊かやったんやねえ
絵金に赤岡の商人が歌舞伎・浄瑠璃などを題材にした奉納絵を頼んで描いてもらっていたということは市井の民にそんな演芸物が知れ渡り鑑賞する素地があったということやから大したもんよ
往時は現代人馴染みの映像媒体などは無いのにどうして歌舞伎の題材・演目などを皆知っていたんやろうねえ
芝居見物などが身近にあったということかねえ
絵金祭りでは本物の屏風絵をロウソクの灯りで間近に眺められるとはスゴイ!
赤岡の町衆は豪気やねえ!
宝物の絵金の屏風絵をこれからも地域の方々に守って行ってもらいたいねえ
コメントをありがとうございます。
いつも励みになっております。
今回まで「ところ払い」が罪科の重さにより異なることを知りませんでした。
とても勉強になりました。
絵金の描く「血赤」は、決しておどろおどろさだけを狙ったわけではなく、邪気を払うという重要な意味があったんです。
地元の者に「絵金と言えば…」と尋ねると、多くの人々が「おどろおどろした…」と答えるでしょう。
でも、それはあくまで芝居や歌舞伎のワンシーンを描くことで、人が持つ(内面の)情念や憂さ等を表したものなんですね。
絵の持つ奥深さと人の愚かさや儚さを見事に表現した技量は見事としか言いようがないです。(※あくまで、個人の感想です)
赤岡の旦那衆が描かせた絵が評判を呼び、その後県下へ(オーダーが)広がって行ったのが何よりの証拠です。
本物の絵を民家の軒下で間近に見られる特異な祭りへ、今年は随分多くの県外客が来られたと取材を通じて(関係者に)伺いました。
「商売っ気ではなく町の活性化のための祭りを、これからも大切に遺していって欲しい」と願った夏の夜でした。