この記事の公開日:2024.03.10
▲高知の空の玄関と言えば、郷土の偉人の名を冠した「高知龍馬空港」である。
▲空港ビル屋上の展望デッキには、あのキャラクターたちが描かれたボードが設置されている。そう、高知が誇る偉大な漫画家:やなせたかし氏が誕生させたキャラクターだ。
▲なお空港以外でも、高知では様々な場所で彼のキャラクターたちに出会える。(※写真は一例)
▲来年の朝ドラでさらに注目を浴びるであろうやなせたかし氏。今回は、彼が幼い頃過ごした二つの町にある、彼と関わりが深いスポットをご紹介します。
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まずは 出身地から…
▲彼が幼い頃過ごした※香美市香北町朴ノ木は、県北東部の山間に位置している。屋敷跡は現在、墓石と共に「やなせたかし朴ノ木公園」として整備されている。(※生誕は現:東京都北区)
▲その周囲は湧水音だけが聞こえる静かな地で、まさに「故郷の風景とはこれだ」と思える光景が広がっている(※個人の心象です)。
▲公園近くまで歩いてみると、キャラクターの頭部だけが顔を覗かせる光景に一瞬驚いた。
▲ベンチを取り囲むように配置された石像のキャラクター。
▲また足元には、キャラクターの石畳やビームを模したような模様が施されている。
▲普段は訪れる人がまばららしく、贅沢な空間を独り占めした気分になった。
キャラクターが見つめる先は…
▲先ほど、ベンチを取り囲むように配置された石像と紹介したが…
▲実は、墓石の両サイドに設けられた石像のみが、ある方向を向いている。
▲これは、南西方向の「アンパンマンミュージアム」を見守っているためだ。
▲墓石には「ここでねむりたい」と願っていた彼の詩が刻まれている。
▲そして、生涯愛した妻:暢と共に仲良く眠りについている。
▲その「やなせたかし朴ノ木公園」から3.5km離れて「アンパンマンミュージアム」がある。
▲大人の事情により「アンパンマンミュージアム」の画像は掲載出来ない。そこで、施設の前の光景を写したのがこのカット。
▲先ほど紹介した二つのキャラクター像は、この撮影位置の後部辺りを眺めていたのだ。(※大人の事情により撮影・公開は不可)
続いて 多感な時期を過ごした ごめんの町…
▲彼は8歳~18歳までの10年間、南国市ごめんにある叔父の家で過ごした。現在屋敷はないが「やなせたかし・ごめん駅前公園」として整備されている。
▲ちなみに「やなせたかし・ごめん駅前公園」は、「アンパンミュージアム」から約16km離れた南国市御免(現:駅前町)の町中にある。
▲彼が過ごした当時、この辺りには田んぼや畑が続く光景が広がり、童謡「夕焼け小焼け」に登場する「歌詞の世界そのもの」だったという。
▲彼は、その日本農村原風景ともいえる光景を、晩年になってもこよなく愛していたそうだ。
公園の南には 彼の名を冠した商店街が…
▲「公園」の南には、昔ながらの商店が400mにわたって立ち並ぶ御免町商店街がある。
▲その商店街は、やなせたかし氏の支援を受けキャラクターの石像7体を設置し「やなせたかしロード」として2009年に生まれ変わった。
▲あれから15年。現在ではシャッター商店街の様相は拭えないが、朝ドラ放映後にはこの光景も一変するのだろうか…。
▲やなせたかし氏は、多感な時期を過ごした南国市御免町への感謝を忘れることはなかったという。様々な発案(イベント:ハガキでごめんなさい他)を行い、なおかつ私財も投ずるなど、常に町の発展を願い続けたのだった。(やなせたかし:1919-2013/享年94歳)
コメント
去年の春から秋にかけて某国営放送局の朝ドラで牧野富太郎博士を取り上げた「らんまん」が放映されたけんど来年の朝ドラは「やなせたかし」さんかえ
えらい朝ドラは高知づいちゅうねえ
やなせたかしさんは大正の半ばに生を受け昭和を駆け抜け平成の終い頃まで御健在じゃった方よねえ
高知は四国の片田舎で人口もさほど多くはないところやけんどなぜか漫画家列伝が語られそうなばあ有名な漫画家を輩出したところながが不思議
なんの加減じゃろうねえ
やなせさんは子供たちに大人気の「アンパンマン」の生みの親としてあまねく知れ渡った郷土の先輩
御存命なら百を超えるお歳の方やが生誕は東京の北区
やはり幼少期から過ごした南国土佐の風土が漫画家の素養なるものを育んだかねえ
東京から高知へ帰郷して幼少期を過ごした旧:香美郡(現:香美市)香北町朴ノ木の屋敷跡は湧水音しか聞こえんという日当たりの良さそうな郷愁を誘う景色やねえ
墓石に刻まれたやなせたかしさんの詩文をじっくり読ませてもろうたわ
穏やかなええ文面やねえ
やなせさんが世に知られる頃から同郷人のやなせたかしさんを見てきた者として氏は中央に出て功成り名を上げるまでに割合時間がかかったイメージがあるがねえ
倦まず弛ず漫画家に大成して行く様子などは来年の朝ドラでじっくり観賞させてもらうことにしょうかねえ
中央で名を成しながらも人生の終焉を迎え永遠の眠りにつく安寧の地として幼少期を過ごした香北町の地を選んだ心根はいかばかりであったかねえ
九十の坂を越える御長命やった氏には「お疲れさまでしたねえ」と慰霊したい心境やわ
コメントをありがとうございます。
やなせたかし氏をはじめ、多くの著名な漫画家を輩出した高知県。
毎年8月上旬には高知市で全国の高校生を対象にした「まんが甲子園」が開催されているのですが、初回(1992年)から晩年まで審査委員長を務めていました。
さらには、財政難の(主催者である)高知県に対し(優勝校への)賞金を提供するなど、影の功労もされていたようです。
自身の体の不調から一度は引退を決意していましたが、そんな時「東日本大震災」が発生。
その後、自身が作詞した「アンパンマンマーチ」が復興のテーマソングとして謳われたり、被災者から「子どもが笑顔を取り戻した」などの声を聴き、引退を撤回。
亡くなるまで現役を貫き通したそうです。
このようなエピソード一つひとつをとってみても、やなせたかし氏の偉大さが感じられますね。
朝ドラ開始後には、静かな地(二つの故郷)の姿がどのように変貌を遂げるか、引き続き記録していきたいと考えています。