この記事の公開日:2024.11.22
▲四国遍路はどこから始めても、また複数回に分けた区切り打ちでも構わないといわれている。
▲これは高知県内の全札所16ヵ寺の内、11ヵ寺(約118km)を巡る遍路旅です。
▲今回は、紅葉スポットとしても有名な第三十一番札所:竹林寺(高知市五台山)を訪ねました。(※第三十番札所:善楽寺は次回)
▲竹林寺を語る上で避けては通れない、有名な恋物語が語り継がれている。「坊さん、かんざし買うを見た…」と唄われたよさこい節。時は幕末、ひとりの僧侶がはりまや橋のたもとでかんざしを買い贈ったことが城下の噂話として広がり、唄われるようになった。
▲その坊さんというのが、竹林寺で学僧を指導していた純信の弟子の慶全である。恋の相手は僧侶たちの身の回りの世話をしていたお馬。やがて純信は慶全を諭した後、五台山から追放した。
▲しかし今度は純信がお馬に熱を上げるようになり、恋仲に…。それを恨んだ慶全が噂を流したといわれている。(※結局純信・お馬は捕らえられ三日間さらし者にされた後、追放の身となった。そして二人は生涯結ばれることがなかった)
▲僧侶の住まいである坊が現:牧野植物園内にあった。お馬が竹林寺まで洗濯物を届けているうちに純信に見初められたのだが、その通い詰めていた道(※お馬路)が現在でも残っている。
五台山と竹林寺も 切っても切れない仲
▲竹林寺は、724年に聖武天皇の勅願を奉じた僧:行基により開創された。
▲その昔、聖武天皇は「文殊菩薩の霊場として名高い唐の五台山に登り竹林寺を訪れる」という夢をみた。それを元に天皇は僧:行基に、夢に出てきた地に似た霊地を探すよう命じた。
▲やがてこの地が選ばれ、文殊菩薩を本尊として土佐の竹林寺は開創されたのである。後年、弘法大師(空海)が滞在し荒廃した堂塔を修復したと伝えられている。
▲仁王門の階段前には弘法大師(空海)の像が佇んでいる。これは「ぜひ、弘法大師像を建立して欲しい」と全国から寄せられた浄財を元に1977年に建立された。
▲知恵の仏様として尊ばれている文殊菩薩(※三人寄れば文殊の知恵という諺でも有名)を祀った本堂(文殊堂)である。土佐二代目藩主:山内忠義公により造営された杮葺きの屋根が特徴の建物。(※本尊は秘仏のため、通常は拝観することが出来ない)
▲本堂と向かい合うように建てられた大師堂である。山内忠義公の奉献によって造営された。
▲高さ31.2m・総檜造り・述べ5,400人の宮大工により造営された五重塔である。仏舎利(※お釈迦様の遺骨)や大日如来が祀られているが、内部へ立ち入ったり拝観することは出来ない。
眺めていると 見えてくるものがある…
▲標高145mに位置する竹林寺には様々な種類の高木が生い茂り、晩秋には色の饗宴が見られる。山寺ならではの光景だ。
▲境内の庭園に鮮やかな紅葉が加わり、まるで絵画の中にいるような錯覚に陥ってしまう。(※個人の感想です)
▲虚空蔵菩薩堂である。竹林寺では、虚空蔵菩薩像を拝観することは出来ないが…
▲虚空蔵菩薩を本尊とする最御崎寺(室戸市)でその姿を目にすることが出来る。(※ただし本物は秘仏のため通常は拝観出来ない)
▲竹林寺は、明治初期の神仏分離令や暴風雨で大破するという憂き目に遭った。そんな中、明治中期に着任したのが船岡芳信和尚(※越後出身)である。
▲彼は全国への勧進や国への働きかけなどを行い、見事に復興を成し遂げた。これは、後に「中興の祖船岡芳信和尚を祀る墓所である。
▲鐘を撞いて仏様に挨拶をする鐘楼堂である。音を響き渡らせるため、鐘の下に大きな穴が設けられている。
▲鐘を撞くのは「これからお参りにまいります」という合図。ゆえに、参拝後に撞くのは「出鐘」といって「出金」に繋がることからご法度となる。
▲万一お遍路さんが寺を訪れた際に撞くのを忘れた場合、次に訪れた札所で撞くのが正式な作法である。(※参拝時の作法についてはこちらから)
同じ場所で 時期をずらして撮ってみた…
▲この寺は、参拝者だけでなく紅葉や新緑を目当てに訪れる人々の姿が珍しくない。
▲美しい光景に囲まれながら歩く階段は苦にならない⁉
▲いずれにしても、境内の何処でも・何時でも画になることがお分かりいただけただろうか…
近年 お寺で見られるようになったものとは
▲寺は仏(仏像)を祀り「死後」を、神社は神(像ではなく森羅万象)を祀り「現世」を意味する場所である。例えば、死後とは「葬儀・法事」など、現世とは「お宮参り・七五三・成人式・結婚式」等々。
▲ゆえにお墓は神社ではなく、寺にしかないのである。
▲しかし、近年ではその境が曖昧に…。時代の変遷(※生前の行事)を垣間見ることが出来るのが竹林寺の大きな特徴でもある。
▲外国のお客人にはこれらの光景がどのように映ったのだろう⁉ (※中央はガイド)
夜の帳が下りると 表情は一変する
▲竹林寺は年間を通じ幾度も夜間開放し、様々な催し物で人々を魅了している。夜の帳が下りると見慣れた光景が一変し、さらに風情が…。
▲竹林寺の夜間の光景についての記事はこちらから。
2024年の竹林寺の紅葉 見頃は間もなく…
▲今年の紅葉は、間もなく見頃を迎える。(※前記の3カットは2024.11.19撮影)
コメント
五台山・竹林寺とくれば音に聞く高知の古刹なんやけど
ご多分にもれず長い歴史があるだけに自然災害や時代の変遷やらに翻弄されながら今日を迎えているんやねえ
台風銀座と称され南海地震をまともに顔面受けするかのような位置にある南国土佐
竹林寺はそんな過酷な自然状況のなか文字通り風雨に耐えて起立してくれて来ている有難味があるよねえ
古刹の苔むしたような幅広く長い石の階段に覆いかぶさる紅葉は絵になるねえ
平地よりは幾ばくか気温が低いであろう小高い山の上に位置しているのに五台山の紅葉の見頃は11月末辺りとはさすが南国土佐
さりながら紅葉の華やかさに見とれていると目の前には早や年の暮れが控えてとは何とも気忙しく感じるのは寄る年波のせいかねえ
竹林寺といえば「よさこい節」に歌われた純信お馬の話が思い起こされるよねえ
これお馬さんのためにかんざし買うたのは純信さんじゃのうて弟子の慶全さんやったがかえ?
老生ずっとかんざし買うたのは純信さんで坊さん御法度の恋愛沙汰を咎められ二人とも追放されたとばかり思い込んじょったわ
よさこい節の歌詞をそう理解してきてたよ
お恥ずかしい限り
よさこい節県内外で数えきれないほど放歌高吟してきてねえ
まあ昔の出来事やから忠臣蔵なんぞと同じく実際の出来事と今に伝わる話とでは盛り込みや作り話など面白可笑しく尾ひれもついて来ちゅうろうしねえ
純信お馬のその後の顛末も知りたいもんやね
五台山は画になるためか、2時間ドラマや紀行番組等の高知ロケの際には頻繁に撮影場所になっています。
有名地ゆえに多くの県内外客が訪れる観光地であるにも関わらず、
この地でその昔繰り広げられた悲恋物語の真の姿を知る人は少ないかもしれません。
今回のブログ記事では編集の都合上、その真相についてあまり掘り下げることは出来なかったのですが、
何時か改めて深堀りしたいと考えています。