
この記事の公開日:2023.10.20

▲高知市を代表するランドマークのひとつが五台山である。市内のあらゆる場所から凛とした佇まいを目に出来るほど存在感がある。

▲と言う事は、五台山からは大パノラマビューが楽しめるということ。しかし今回ご紹介するのはそのパノラマビューではなく、五台山の頂にある二つの(隣接した)名所で開催された秋ならではのイベントである。それは、山に陽が沈み街灯りがともり始めた頃本番を迎えた。

▲その名所とは、今夏の朝ドラ「らんまん」ブームが続く、県立「牧野植物園」と四国霊場第三十一番札所「竹林寺」である。(※牧野富太郎に関する記事はこちらから)

▲今回は、9月29日~10月1日まで行われた、中秋の名月を愛でる(第11回)観月会の模様をご紹介します。
基本的なおさらい「月見とは…」

▲月の満ち欠けで暦を計算した旧暦の時代、農作業に従事する人々は満月を豊穣の象徴としていた。そこで秋の収穫物を月に供えることで五穀豊穣に感謝し、無病息災や翌年の豊作を願うための習わしが行われるようになった。

▲つまり月見とは、神様に対し(今年の)秋の収穫に感謝し秋の収穫物をお供えすることで、翌年も豊作であるようにと願う伝統行事なのである。ゆえに、単に「団子を食べる日ではない」のだ。

▲月見団子は文字通りお月様を表し、また傍らにススキを飾るのは、茎内部の空洞には神様が宿っているといわれ、さらに鋭い切り口が魔除けになると信じられていたためである。

▲なおお供え物は「月見が終わった後に食してもよい…」といわれている。栄養面はもちろんのこと、風習面から見ても食すると健康や幸せを得ることが出来ると伝えられてきたのだ。

▲主役の月が昇るのは未だか、月はどっちへ昇るのか…

▲残念ながらこの夜は、ベタ雲に遮られて月の姿は見えなかった。
竹林寺住職の ありがたいお話が…

▲日の入り頃、五台山の歴史や月にまつわる観月夜話が執り行われ、多くのお客人たちを楽しませた。

▲牧野植物園となっている敷地は元々竹林寺のものであった。しかし、牧野博士が生前「植物園を造るなら五台山が良い」と切望していたこともあり、お寺の敷地の一部が高知県に提供され植物園に生まれ変わったのだ。

▲人々を惹き付けた観月夜話に続いて、恒例の音楽演奏会が行われた。

▲会場の南園一帯には、二胡やクラシックギターの音色が園内に響き渡り、人々の郷愁を誘っていた。




▲例え月の姿は見えなくても、ライトアップされた美しい園内(南園)を見られただけで十分だった。
続いて 竹林寺のお月見を楽しむ

▲四国霊場第三十一番札所:竹林寺は、弘法大師が修法し堂塔を修復したと伝えられている。なお、この像の建立には全国から寄せられた浄財が活かされている(※1977年:建立)。ちなみに、1,400kmにも及ぶ四国遍路は2015年、日本遺産に認定されている。

▲実は、隣接した牧野植物園から竹林寺に入るには二つのルートがある。

▲一つ目は山門(正門)から。結構急な階段となっている。ちなみに、階段横で沿うように生い茂る樹木は12月になると…

▲見事な紅葉に変化し、訪れた人々を出迎えてくれる。

▲その山門の横には鐘楼堂がある。実は、鐘を撞いて仏様に挨拶をするのは「これからお参りにまいります」という合図なのだが…

▲撮影時のお客人たちは皆、帰り際に撞いていたのだった。

▲ゆえに、これは「出鐘」といわれるご法度行為となるので、次からは気をつけましょうね。

▲もう一つのルートが、植物園とお寺の兼用駐車場からである。外国のお遍路さんたちとすれ違った。そういえば、これまでブログ記事で紹介してきた室戸のまちでも外国の方の遍路姿を目にすることが多くなっていたなぁ。

▲こちらのルートは正門まで平坦なので、随分脚に優しいので助かる。それにしても、和蝋燭の灯りは風情があっていいなぁ。

▲先ほどの歩道を進んで行くと、間もなく現れるのが「鐘楼堂」と「句碑の庭」である。

▲反対側から眺めるとこんな感じ、どちら側から眺めても美しい。ちなみにこの辺りは…

▲12月の紅葉時期には、一面銀杏と紅葉の光景に変化する。
そして 正門を入ると…

▲1686年に造顕された正門(仁王門)である。仁王様は魔を寄せ付けないガードマンのような役割をしており、向かって右が「阿」左が「吽」と言っている姿をしている。

▲その仁王門より先の内域は聖域とされている。



▲竹林寺のシンボルともいえるのが、高さが31mある総檜造りの五重塔である。様式は、木材:1,320石(※体積367,000リットル)・瓦:2,800枚で、宮大工:5,400人(延べ人数)が建設に携わった。

▲元々は三重塔だったが、1899年(M32)の台風で倒壊してしまった。全国からの浄財を得て、81年後の1980年(S55)に五重塔として再建された。なお、内部にはお釈迦様の遺骨などが葬られている。

▲「月見用祭壇の後方には文殊菩薩を祀る本堂が…」というより「本堂の前には月見用祭壇が…」といった方が正しいのかもしれない。この本堂は竹林寺に現存する最古の建造物で、国重要文化財に指定されている。


▲撮影終盤の20時頃になっても、お月様の姿を拝むことは出来ず「月の見えない観月会」になってしまった。しかし「灯りと樹木が一体化した不思議な光景をカメラに収めることが出来た…」と自分に言い聞かせながら、五台山を後にしたのだった。
最後に 撮影のこぼれ話を…

▲実は植物園で月の出を待っていた時、祭壇の正面ではなく右側の山(樹木)の間から昇ると言うことが分かった。それは「月が出ない、昇らない…」と周囲を歩き廻っていた際、雲の切れ間から顔を出してくれたのだ。その間、十数秒の出来事だった。(※この光景は観月会の初日に撮影したもの)

▲実は今回の観月会の各カットは、初日と最終日の二日間に分けて撮影したもの。撮影時には全く月が見えない状態だったのだが、最終日の帰り道で光り輝くお月様の姿を目にすることが出来た。自分で言うのも何だが、う~ん微妙。次の満月は10月29日(日)だが…。
コメント
わが国が太陽暦を採用したのは明治の御代のはじめの頃と聞き及んでいるから百四五十年前のことになるかねえ
老生の母方の祖父母は明治中期生まれで祖父は昭和も戦後しばらく祖母は昭和の末頃までの生涯を農家として生きた人やったけど度量衡などは終生旧暦・尺貫法などが基本やったよ
太陽暦のカレンダーで日を繰っても“旧の何日”という換算をして農業を営んでいたので子供の頃はバアさんの繰る旧暦の日かずでいつが満月かが分かり易かったなあ
新旧どっちの暦でもほぼ毎月十五夜・満月がある勘定にはなるけれど中秋の名月ともなればまた格別
子供の頃は団子にススキを構えてもらって月の出をいまかいまかと待ったもんよ
待たれる中秋の名月も空模様にはかなわず雲に隠れる時も雨に泣かされる場合もあって悲喜こもごも「月の見えない観月会」もあるわねえ
それが浮世よ
今年の五台山の観月会は雲が多くチョイと残念やったみたいやけど竹林寺の御住職の観月夜話や音楽演奏会があったり飾り付けも豪華で耳目の保養になったみたいやね
今回のブログの中で雲が厚い彼方に月を待つ人々の後ろ姿の画像があったけど一幅の絵画のようでいい構図やったね
さらに月の出を待つ人々の夜景も団子のお供えの両脇にススキをふんだんに飾ってライトアップされ穏やかな景色やったね
稲生地区からの月景色はこれまた郷愁を誘う夜景やったね
LEDなど人工的なライトアップの景色も今風でいいけれど日用の皿に盛った団子に数本のススキを左右に飾っただけの質素なたたずまいでロウソクの明かりや懐中電灯も使わず薄暮に月の出を待った子供の頃の月見を懐かしく思い出させてくれたブログやったよ
わが邦には月にまつわる名言・格言・芝居のセリフ回しなんぞ枚挙にいとまが無いけれど昨今の科学技術とやらの跳梁跋扈から起こる世の騒動変事を苦々しく思う老生は名文家として聞こえた山本夏彦さんの寸言
“何用あって月世界へ 月はながめるものである”を
月を眺めるたびに思い出し嘆息することしきりですらあ
昔は24時間営業の店なんかは無く、夜ともなれば辺り一帯が暗いというのが当たり前でした。
そんな中、満月の明るい夜には気分がアゲアゲになったりしたことが懐かしい思い出です。
そころで牧野植物園の係の人いわく、五台山の観月会の時期は何故か雨や曇りの日が多くて主役の満月が見られることは珍しいそうです。
月は地球に棲む私たちにとって、潮の満ち引きや夜を照らすだけでなく様々な恩恵を与えてくれています。
夜も明るいが当たり前になった現代だからこそ、今一度月を愛でることを忘れたくないなぁと感じたものでした。