
この記事の公開日:2025.09.10

▲弘法大師(空海)が開創した四国八十八箇所霊場:(別名)四国遍路。

▲その四国遍路はどこから始めても、また複数回に分けて巡礼する区切り打ちでも構わないといわれている。


▲高知県内の札所を区切り打ちで巡ってきた旅も、残るは5ヵ寺。

▲今回は、清滝寺と青龍寺の2ヵ寺をご紹介。

▲宗教・宗派を問わない四国遍路。巡る理由が「願掛け」や「観光」など様々でも、共通しているのは「心の安らぎを求めて」ではないだろうか⁉
山中の道程は険しいが 眺めがいい 清滝寺

▲まず訪れた清滝寺(土佐市)は、前回訪れた田園の中の種間寺(高知市)から約10km離れた…

▲山の中腹(標高130m辺り)にある。

▲山の麓から寺までは車道の幅員が狭く…


▲この札所は車遍路の中でも、特に難所となっている。

▲一方、歩き遍路の場合は別ルートとなり山中の遍路道を歩いた後、本堂まで厳しい傾斜の石段が待っている。

▲楼門の天井には、1900年(M33)に画家:久保南窓より奉納された龍の絵がかかっている。どこから見ても龍と目が合うことで有名だ。

▲ちなみにこの石段は、地元民のトレーニングコースとしても利用されているそうだ。
屋根より高い 薬師如来像

▲車を降りると、(本堂より高い)巨大な薬師如来像(※重要文化財)が参拝者を出迎えてくれる。

▲台座の中をお経を唱えながら歩くと厄除けにご利益があるとされているが、コロナ禍以降は閉鎖されている。

▲この寺は元々行基が行脚する中で、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造し、本尊として堂舎を建てたことに始まる。

▲後年になって空海が修法をし満願の日に金剛杖で壇を突いたところ、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったことから、寺名を「清滝寺」と名乗ることになった。
火災と縁が深かった 清滝寺

▲本堂は1668年(寛文8年)の火事により全焼したが、その後再建された。


▲その後、火災防止のため金毘羅を勧請したのだった。

▲清滝寺は、江戸時代には土佐藩主の帰依が厚く繁栄していたが、1871年(M4)に一旦廃寺となり9年後に再興された。

▲境内の一段高い所にある鐘楼堂は、本房内に建立されているため撞くことは出来ない。

▲鐘楼堂の隣に何故か消防車が鎮座⁉していた。これは過去に火災に見舞われたからなのだろうか…


▲本坊前からは眼下に清流:仁淀川や土佐市などの町並み、遠くに太平洋の雄大な風景を楽しむことができる。
海辺に位置する青龍寺も 山ん中に…


▲青龍寺は、美しい横浪半島の先端に位置している。

▲現在、寺へは宇佐大橋を渡って行く。しかし橋が開通(1973)するまでは約400mの湾口を船で渡っていた。(※弘法大師(空海)も寺を創建する際に船で渡っていたといわれている)


▲この寺も清滝寺同様、本堂まで急で長い石段(170段)が続く。


▲石段の途中では、かつて修行の場だった行場が今でも見られる。

▲ところで青龍寺の近隣にあるのが、有名なスポーツ選手を数多く輩出している明徳義塾中学校・高等学校である。

▲同校出身の元横綱:朝青龍関は、高校の相撲部時代にこの階段で足腰を鍛えた。入門後に名乗った朝青龍という四股名も青龍寺からとったという。
建物の配置に 大きな特徴が…

▲石段を上ると、目前には屋根の形が特徴的な本堂が現れる。

▲本堂の左側には大師堂が…

▲そして、本堂の右側には薬師堂が…

▲一直線に並んだ伽藍配置が特徴である。(※法隆寺(奈良)・東大寺(奈良)・四天王寺(大阪)等も伽藍配置)

▲御本尊は不動明王波切不動と呼ばれ、今も地元の遠洋漁業の乗組員が、出発前に安全を祈るため参拝に訪れるといわれている。

▲江戸初期に荒廃していた青龍寺は、その後土佐二代目藩主:山内忠義が再興を果たした。しかし、1707年に土佐國を襲った「宝永地震」の津波と地震で大きな被害を受け、後年になって再建されるという運命を辿っている。
特徴的なものは 他にも…

▲ところで、近畿一円の寺院と岐阜県の一寺を合わせた計33ヵ寺の札所を巡礼する旅が「西国三十三所」なのだが、その写しがこの寺に設けられている。

▲帰りは石段ではなく「西国三十三所の写し」奥の坂道を下って行くと…

▲目にも鮮やかな三重塔などを眺めながら…

▲やがて、鐘楼門(※駐車場横)と辿り着く。

▲このような険しい道を目の当たりにすると、昔の巡礼とはまさに修行だったということを改めて思い知らされる。
札所を出て間もなく 時代に翻弄された幕末の偉人が…

▲西は足摺岬・東は室戸岬のほぼ中間に位置し、運が良ければ両岬が眺められるという横浪黒潮ライン。リアス式海岸が12kmほど続くことから、別名:横浪三里とも呼ばれている。




▲美しい景観に見とれながら⁉進んでいると、突如現れるのが武市瑞山(※通称:半平太)の像がある「展望所」兼「駐車場」だ。






▲野根山二十三士の詳細についてはこちらから


▲高知県内の札所を巡る旅もあと3ヵ寺。

▲この美しい景観を目に焼き付けて、いよいよ県西部の札所を目指し…
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