093 空よ海よ お遍路の旅(高知編)⑨ 清滝寺・青龍寺

お遍路
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この記事の公開日:2025.09.10

弘法大師(空海)が開創した四国八十八箇所霊場:(別名)四国遍路

▲その四国遍路どこから始めても、また複数回に分けて巡礼する区切り打ちでも構わないといわれている。

高知県内札所区切り打ちで巡ってきた旅も、残るは5ヵ寺

▲今回は、清滝寺きよたきじ青龍寺しょうりゅうじ2ヵ寺をご紹介。

宗教・宗派を問わない四国遍路。巡る理由が「願掛け」や「観光」など様々でも、共通しているのは「心の安らぎを求めて」ではないだろうか⁉

山中の道程は険しいが 眺めがいい 清滝寺

▲まず訪れた清滝寺きよたきじ(土佐市)は、前回訪れた田園の中の種間寺たねまじ(高知市)から約10km離れた…

中腹(標高130m辺り)にある。

からまでは車道幅員狭く

▲この札所車遍路の中でも、特に難所となっている。

▲一方、歩き遍路の場合は別ルートとなり山中遍路道を歩いた後、本堂まで厳しい傾斜石段が待っている。

楼門天井には、1900年(M33)に画家:久保南窓くぼなんそうより奉納された龍の絵がかかっている。どこから見ても龍と目が合うことで有名だ。

▲ちなみにこの石段は、地元民のトレーニングコースとしても利用されているそうだ。

屋根より高い 薬師如来像

を降りると、(本堂より高い)巨大な薬師如来像(※重要文化財)が参拝者出迎えてくれる。

台座の中お経を唱えながら歩くと厄除けご利益があるとされているが、コロナ禍以降閉鎖されている。

▲このは元々行基ぎょうき行脚あんぎゃする中で、この地で霊気感得かんとくして薬師如来像を彫造し、本尊として堂舎を建てたことに始まる。

後年になって空海修法をし満願の日金剛杖を突いたところ、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったことから、寺名を「清滝寺きよたきじ」と名乗ることになった。

火災と縁が深かった 清滝寺

本堂1668年(寛文8年)の火事により全焼したが、その後再建された。

▲その後、火災防止のため金毘羅勧請かんじょうしたのだった。

清滝寺は、江戸時代には土佐藩主帰依きえが厚く繁栄していたが、1871年(M4)に一旦廃寺となり9年後再興された。

境内の一段高い所にある鐘楼堂しょうろうどうは、本房建立されているため撞くことは出来ない。

鐘楼堂に何故か消防車鎮座⁉していた。これは過去火災見舞われたからなのだろうか…

本坊からは眼下に清流:仁淀川によどがわ土佐市などの町並み、遠くに太平洋雄大風景を楽しむことができる。

海辺に位置する青龍寺も 山ん中に…

青龍寺しょうりゅうじは、美しい横浪よこなみ半島先端に位置している。

▲現在、へは宇佐大橋うさおおはしを渡って行く。しかし開通(1973)するまでは約400m湾口で渡っていた。(※弘法大師(空海)も創建する際にで渡っていたといわれている)

▲この寺も清滝寺同様、本堂まで急で長い石段(170段)が続く。

石段途中では、かつて修行の場だった行場ぎょうばが今でも見られる。

▲ところで青龍寺しょうりゅうじ近隣にあるのが、有名なスポーツ選手を数多く輩出している明徳義塾めいとくぎじゅく中学校・高等学校である。

▲同校出身の元横綱:朝青龍あさしょうりゅうは、高校の相撲部時代にこの階段足腰鍛えた入門後に名乗った朝青龍という四股名青龍寺しょうりゅうじからとったという。

建物の配置に 大きな特徴が…

石段を上ると、目前には屋根の形が特徴的本堂が現れる。

本堂左側には大師堂が…

▲そして、本堂右側には薬師堂が…

一直線に並んだ伽藍がらん配置が特徴である。(※法隆寺(奈良)・東大寺(奈良)・四天王寺(大阪)等も伽藍配置)

御本尊は不動明王波切不動なみきりふどうと呼ばれ、今も地元の遠洋漁業乗組員が、出発前安全を祈るため参拝に訪れるといわれている。

江戸初期荒廃していた青龍寺は、その後土佐二代目藩主:山内忠義再興を果たした。しかし、1707年土佐國を襲った「宝永地震」の津波地震で大きな被害を受け、後年になって再建されるという運命を辿っている。

特徴的なものは 他にも…

▲ところで、近畿一円寺院岐阜県一寺を合わせた計33ヵ寺札所巡礼する旅が「西国三十三所」なのだが、その写しがこのに設けられている。

▲帰りは石段ではなく「西国三十三所の写し」奥の坂道を下って行くと…

▲目にも鮮やか三重塔などを眺めながら…

▲やがて、鐘楼門しょうろうもん(※駐車場横)と辿り着く

▲このような険しい道を目の当たりにすると、昔の巡礼とはまさに修行だったということを改めて思い知らされる。

札所を出て間もなく 時代に翻弄された幕末の偉人が…

西足摺あしずり室戸むろとのほぼ中間に位置し、が良ければ両岬眺められるという横浪よこなみ黒潮ラインリアス式海岸12kmほど続くことから、別名:横浪三里よこなみさんりとも呼ばれている。

美しい景観に見とれながら⁉進んでいると、突如現れるのが武市瑞山たけちずいざん(※通称:半平太はんぺいた)のがある「展望所」兼「駐車場」だ。

野根山二十三士の詳細についてはこちらから

高知県内札所を巡るもあと3ヵ寺

▲この美しい景観目に焼き付けて、いよいよ県西部札所を目指し…

コメント

  1. 吉之助 より:

    清滝寺は見晴らしの良さそうな山の中腹に位置していてと
    まず眼下の眺望に目を奪われるようでは信仰心が疑われるけんど
    ここのお寺さんは乗用車で乗り付けるのにはチョイと気をもむ山道なんやねえ
    まあ開創当時には千年後に一切衆生が自動車なるものに乗ってお参りに来るとは想像もつかん話じゃきねえ
    人が歩いて移動するしかないという往時からの参拝道が色濃く残ちゅうということで今時貴重な登山道が残るお寺さんかねえ
    ただねえ一旦火急のときは山の下の町から駆け上がりよっちゃあまちょくにあわん危うさは一抹の何とかよねえ
    鐘楼堂の脇に消防車が待機させてあるとは過去の歴史に学んで緊張感があるねえ
    清滝寺さんに備えあれば何がしとの教えを学ばせてもろうたよ
    ブログでの拝観やけんど功徳功徳

    高知県の寺社では長い歴史の中で必ずどこかで大地震・風水害などの自然災害やら大火・戦火など幾多の災厄に見舞われながらも現存してくれているありがたみがあるけんど青龍寺も太平洋に近いき南海地震関連の被害を受けてきちゅうがやねえ
    青龍寺は法隆寺や東大寺・四天王寺などと同じくお堂が一直線に並んだ伽藍配置が特徴とはまた奇遇な
    有り難味もひとしおやねえ

    老生戦後一桁生まれの七十代のジジイやが青龍寺のある宇佐のあたりは昔は横波三里と横波に三里がたいがいくっ付いて呼ばれていた感があるがねえ
    今は横波と言い切りかねえ?
    三里は尺貫法やから?
    明治生まれで昭和後半期まで生きた老生の祖父母の度量衡は終生尺貫法やったけんど明治は遠くなりにけりかねえ

    武市瑞山の銅像が横波スカイライン途上にあったこと久しく忘れちょったよ
    瑞山はヤットウの腕がたち学もあり絵心にもたけ文武両道に秀で明治まで生き残っていればさぞかし有為の人物であったろうにねえ

    横波半島武市瑞山機会があればまた紹介を

    • OIRA OIRA より:

      ありがとうございます。

      今回ご紹介した2ヵ寺とも「人が歩いて移動するしかない」山中に位置しています。
      そんな寺にとって火災の発生は死活問題になりますよね。

      撮影時(2024.12.初旬)「鐘楼堂脇の赤い車両・黄色いイチョウ・青い空」のコントラストが
      妙にマッチしていたことが強く印象に残っています。
      まるで絵画を観ているようでした。

      「武市瑞山」というより「武市半平太」という名称で馴染み深い地元の偉人。
      なぜ「半平太」でなく「瑞山」なのか、昔から不思議でした。

      今回の記事を作成するにあたり調べてみるとその理由がよく分かりました。(※記事本文でも紹介)
      こんなこと、あまり触れられることはないですよね。

      OIRAの土左日記では、そんな視点に着目して記事を作成しています。