116 命の別名④(命山の神社に後世への伝承碑)

南国市
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この記事の公開日:2026.10.15

▲高知県南国市なんこくしの「減災」の取り組みを紹介する4回シリーズの最終回は…

▲津波避難タワーの原形となった「命山いのちやま」と、避難の「戒いましめ」が刻まれた山頂の神社について深掘りします。

▲現在の高知龍馬空港滑走路上には戦前小高い山があり、津波が来襲した際に住民たちが駆け上がる命山となっていました。

▲しかし1942(S17)年、海軍高知航空隊の飛行場と基地が建設されることに伴い、その命山は取り除かれてしまいました。

▲ところで、2011(H23)年の東日本大震災の甚大な津波被害は「緊急避難場所の確保」という課題を突き付けました。

▲そこで南国市は、翌年早々「命山構想」を立ち上げ緊急避難場所の整備を急ぎ…

▲2年後の春には、津波避難タワーを一斉に完成させたのです。(※⑨の一部と⑮のみ後年)

直接関連死を上回る数の 関連死

▲高知県沿岸市町村を見てみると、各(命山)裏山に避難場所や誘導路などが整備されている大月町おおつきちょうを除いた沿岸全市町村へ、津波避難タワーが整備されている。

▲そしてほぼ全部の学校体育館が避難所に指定されているが、今春空調設備完備の体育館の割合が全国平均の半分以下しかないことが判明した。

▲そこで県は被害想定を見直し「災害関連死」の対策を強化することにしていた。その後、今夏の熊本地震の被害を受けて急遽追加されたのが「熱中症対策」である。

▲県は、体育館への空調完備を4年後に早めた(※写真は空調完備済み)。ちなみに熊本地震(2016年)では、体調不良の関連死が直接死の4倍超だったことが明らかになっている。

命と引き換えに得た 行動教訓

▲人々を守る命山のひとつ上岡山かみおかやま※が隣町にある。(※詳細はこちら)

▲東日本大震災では「避難行動の有無」や、一度は避難したにも関わらずその後「自宅へ戻った」ことが「生死を分ける」要因となった。

▲宮城県石巻市のある小学校の実例…揺れの後、児童たちは校庭へ避難した。しかし教員らは裏山など高台への避難判断が出来ず、時間だけが過ぎていった。

▲その結果…川を遡上して来た津波は大勢を呑み込み、児童74人と教職員10人が犠牲になった。

▲その小学校では避難訓練を実施していなかった…この出来事は、南国市の防災対策を一気に進めることになった。

南国市の「命山」の目印は

▲高知龍馬空港周辺に遺る命山の琴平山ことひらやま。「2本の突き出た塔」が特徴の山だ。

▲塔のひとつが、航空機やヘリなどの安全な離着陸を確保する航空障害灯である。近くで見ても、ひと際目立っている。

▲もうひとつの塔が、大手携帯電話会社の携帯電話基地局である。この高さにあるということは、きっと災害時に大活躍するだろう⁉

山頂への避難と 地上での避難は

▲津波発生時、年配者・身体が不自由な人・幼い子どもたちが遠方から山麓まで辿り着き…

▲山頂まで、1km近くを登って行くには無理がある。

▲そこで各民家から5分以内に避難出来るよう整備されたのが、津波避難タワーなのである。


▲山頂への避難時ショートカット出来るこの階段に…

▲トライしたがOIRAには堪こたえる。結局、自動車で山頂へ行った。

経年劣化で 周囲に溶け込んだ灯明台

▲山頂の広場は普段駐車場であり、津波避難場所ともなっているほど広い。

▲広場の西端には「防災備蓄倉庫」のコンテナが設置されている。

▲その倉庫の裏手には、台形の石積みがひっそりと…。

▲元々は、藩政時代に活躍した灯明台とうみょうだい(※灯台)の跡だという。

▲度重なる取材の中でやっと設置場所が判明した。それにしても、分かり難い事この上ない⁉

▲当時樹木は低く、遥かに見通しが良かったのだろう。

玉垣に 地震の様子を記録

▲大地震に見舞われた沿岸住民たちは、琴平山に避難して命を助けられた。

▲それを裏付ける安政地震時の記録が琴平神社の玉垣たまがき※に残されている(図面の❶~❾)。(※玉垣=境内を囲っている柵)

▲一般的に「自然災害伝承碑」は被災場所に建立こんりゅうされているのだが…

▲なぜ、津波で被災しない山頂の神社に東海地震~安政南海地震のことが⁉…きっと、多くの老若男女が訪れる神社は人目に触れやすいから、津波災害情報を伝承するには最適だと考えたのだろう。

▲やがて「人類が過去から何を学び、何を学ばなかったのか」が問われる日が来るのは、避けられない現実である。


琴平神社のいわれは…

▲神社は、天智てんぢ天皇が黒田郷くろだごう※に黒崎之宮くろさきのみやを建立したことに始まる。(※黒田郷=須崎市すさきし沖~南国市十市とおち沖にあった集落で、白鳳はくほう地震で土佐湾に沈んだと伝わる)

▲黒田郷が海中に没んだ後、浜改田はまかいだ(南国市)に金比羅大権現こんぴらだいごんげんとして再建された。その際、海中から金色の幣ぬさが「ひらひら」と飛んできたものをお祀まつりしたことから「金幣きんぺいがひらひら」→「こんぴら」という名称になったという。

▲元々大物主命おおものぬしのみことを祭神としていたが、明治維新以降に崇徳すとく天皇を合祀ごうししている。

▲石に刻まれた文字からも分かるように、「海上の守り神・豊漁の神」として船乗りたちから崇敬すうけいされてきた。

▲神輿みこしやお道具などが多数保管されていたが、終戦直後の盗難で失われてしまった。ただし神輿みこしは大きく重た過ぎたのか、難を逃れることが出来たのだった。

▲多くの宝物類がこの神社から姿を消していったが…

▲奉納された絵馬(1925:T14年)が1枚だけ掲げられていた。

▲ところで、ここは「崇敬すうけい神社※」なので氏子うじこはおらず、祀まつりの世話人が地域外から前乗りして寝泊りする通夜堂が設けられていた。(※対義語=氏神うじがみ神社)

▲ちなみに、崇敬神社※とは「大切にお参りしたい」と個人が決めた神社のことで、居住地は関係ない。(※例えば、学問の神様を祀る天満宮で合格祈願する場合など)

▲通夜堂には馬の像が祀られている。前記の伝説によると、黒田豪が沈んだ際海中からここの階段へ飛んできた金色の幣ぬさを、馬の背中に乗せて上って来たという。

▲通夜堂の隣には青銅製の神馬しんめ像が建立されており、自分の部位と馬の同じ部位を交互に3回ずつ触るとその箇所の病いを治すといわれている。


隠れた桜の名所でもある神社

▲この神社前には、駐車場を取り囲むように桜並木が広がっている。

▲それは、1977(S52)年に地元のライオンズクラブが社会奉仕の一環として、桜の苗木200本を植栽したことに始まる。

▲春には提灯が夜桜を彩り、広場はいつしか「桜の園」と呼ばれ親しまれるようになった。

▲絵馬堂裏の小道を少し歩けば、香長平野が眺められる展望広場に出られる。

▲ここは、隠れたお花見スポットとなっている。

▲ところで、南国市では⑮スポーツセンタータワーで「防災ガイドツアー」を随時実施しており、今夏も県内外から多くの人々が研修に訪れたという。


ねこ時間、〇〇時間!

▲この神社は別名「猫神社」とも呼ばれており、駐車場から…

▲様々な猫たちが出迎え⁉てくれる。

▲猫の性格も様々。人間に警戒する猫もいれば…

▲寄って来て「これ何⁉」と言わんばかりの猫もいる。

▲避妊手術を施した上で、地域住民が餌やりなどの世話をしながら「命を繋いでいる」という。

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