この記事の公開日:2024.12.10
▲高知県内の全札所の内、11ヵ寺を巡る「遍路旅」も残り四ヵ寺。
▲今回は、竹林寺から(高知市)から一つ戻って…
▲第三十番札所:善楽寺(高知市)と第三十二番札所:禅師峰寺(南国市)を訪ねた。
▲竹林寺西の駐車場から眺める善楽寺はご覧の位置に。(※竹林寺はこちらから)
善楽寺と (隣接の)土佐神社
▲楼門は土佐神社と共用となっているが、現在令和の大修理中である。(※完了は2026年春頃)
▲1631年に土佐二代目藩主:山内忠義公により建立された楼門。入母屋造の三間一戸楼門(※間口が三間で中央が戸口)となっている。(※国の重要文化財に指定)
▲参道奥の右側にあるのが札所:善楽寺(旧:長福寺)である。そして正面の奥が土佐神社(旧:神宮寺)である。その昔、札所は神宮寺(現:土佐神社)の方だったが…
▲やがて長福寺は善楽寺へと名称が変更され、両方で四国三十番のご朱印を押して納経をしていた。
▲その後、明治初期の神仏分離令によりいずれも廃寺となる。そして仁王像は最御崎寺(室戸市)に、札所権や(神宮寺の)阿弥陀如来像および(善楽寺の)弘法大師像は、国分寺(南国市)に移された。
▲ちなみに、納経は国分寺にて代行していた。
▲時は経ち、住民たちの尽力により善楽寺と土佐神社は再興されたのだが…
▲今度は、一旦本尊:阿弥陀如来像を移していた安楽寺(高知市)との間で「正式な三十番札所の呼称」に関する騒動が起きた。そして…混乱を経た後の1994年(H6年)、正式な三十番札所となった。
他にも 境内で拝めるものとは
▲お釈迦様の仏像が造られる前は足跡を礼拝していた。お釈迦様自身が崇拝の対象となった後からは、その足跡を沸足石として表現した。
▲首から上の病や、試験合格にご利益があるとされる梅見地蔵。移設前の場所で梅の木を仰ぎ見たことから、梅見地蔵と呼ばれるようになった。
▲子宝祈願にご利益があるという子安地蔵堂も…
こちらが有名!?な 土佐神社
▲善楽寺の西隣に設けられているのが土佐神社である。
▲社殿は1563年に戦火により焼失したが、長宗我部元親公により1570年に再興造営された。その造りは入蜻蛉様式といわれ、トンボが羽根を広げた形状をしており…
▲その頭部(※画面左)から本殿に入っていくような造りとなっている。(※国の重要文化財に指定)
▲土佐二代目藩主:山内忠義公により建立された鼓楼(※神社において時刻や緊急事態を知らせるための太鼓を置いた建物で、寺の鐘楼にあたる)である。(※国の重要文化財に指定)
▲境内では、かつて大河ドラマ「龍馬伝」における複数のシーンが撮影された。
街中から 海沿いへ
▲禅師峰寺へは、高知東部自動車道に沿って通っている県道をひたすら南方(太平洋)へ向かって進む。
海沿いにある 禅師峰寺
▲禅師峰寺は標高82mの小高い丘(峰山)にあり、俗に峰寺と呼ばれ親しまれている。(※地元では峰寺と言わないと通じない場合もある)
▲海岸(太平洋)近くの高い場所にあることから、2024年8月上旬に政府から発表された「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」の特別な注意の呼びかけ時には住民の一部が避難してきた。
▲本尊は、弘法大師(空海)が自刻(自身の容姿を彫った)したといわれる十一面の観音菩薩である。藩政時代には、歴代藩主が出港に際し必ずこの寺の観音に航海安全を祈ったことから、別名:船魂観音とも呼ばれている。(※写真は近年設けられた石像)
参拝時の作法を 振り返って見る
▲まず手水舎で手を洗った後、口をすすぎ身(外内)を清める。(※正しい作法はこちらから)
▲山門(仁王門)の内側(境内)は聖域となるため、合掌した後に一礼して境内に入る。(※正しい作法はこちらから)
▲参拝前にするのが鐘撞である。これは仏様に「これからお参りにまいります」という合図。(※正しい作法はこちらから)
▲大人の事情で鐘撞が禁止されている札所があるが、この寺ではOK。
▲鐘撞は大きい音を出すのではなく音色を奏でる程度に。鐘撞後は撞木が鐘に何度も当らないように紐で落ち着かせる。
▲炎には不浄を燃やし魔を除く意味があるので、献灯時に他人のローソクの火を使わないこと。(※もらい火は、悪縁や災いをもらい受けることに通じるため)
▲ゆえにお寺の種火か、持参したライターなどを使うこと。
▲香を焚いている常香炉ではその煙を手繰り寄せ身を清める。火は息で吹き消さず、手で払って消す。
▲読経には一定の時間が必要なため、団体やグループは左右のいずれかに寄って行うのがマナー。(※後から来た個人の参拝者がお経を唱えるための譲り合い)
特徴① 境内で見られるもの
▲境内には、樹木や奇岩や屏風岩が多く埋まっている。この山が地震で隆起して出来た証である。
▲窪みに水が溜まっており、潮の干満により水が増減するといわれている不思議な岩。
▲屏風岩を背景にした峰寺不動明王。不動明王の像は背景に炎をまとっているが、この像は代わりに岩の模様が独特の雰囲気を醸し出し、自然と融合した珍しい様相となっている。
特徴② 眼下には広大な太平洋が
▲寺を訪れた際には、この絶景をぜひ眺めて欲しい。
▲一体何処まで(西方が)見渡せているのか分からない位の見事な眺望に感激。(※禅師峰寺は南国市にありながら高知市との境に位置している)
▲整列して参道を降りていくお遍路さんたち。何かほっこりするものを見たような気がした。
コメント
懐かしいですね!なつのしなねさま時期思い出します。
今回都合により、土佐三大祭のひとつ「志那祢祭」については詳しく触れることが出来ませんでしたが、
機会を見て改めて紹介できればと考えています。
見慣れた重厚な楼門から直線的に見通せる参道
奥には音に聞こえた志那禰様で名高い土佐神社
しかしこのたびはお遍路旅
土佐神社参道奥の右側にある札所の善楽寺
志那祢さまは夏休み終盤のお祭りで何度も参拝してきたのにすぐお隣に札所があったとは不覚
正直に白状するとこのブログで知ったのよ
なんと不信心なことで
善楽寺も土佐神社もご多分に洩れず時代の変遷に翻弄された歴史があるんやねえ
善楽寺や土佐神社のある高知市一宮は老生が通った学校の校区内で馴染みの土地やけど首から上の病や試験合格に御利益があるとされる梅見地蔵がある善楽寺のことを学生時分に知っておれば敬虔なお参りをしてもうチョイと利口になるご利益の恩恵に浴していたのではないかと今更ながら残念至極
まあ首から上の病にといっても頭がよくなっていたかどうかは勉強嫌いだった我が身を顧みるとねえ
禅師峰寺も一度も訪れたことがない札所やわ
ふもとを通っている県道は何度も往来したことがあったのに山の上には目が向いていなかったかとこれも今更ながら可笑しい限り
たいちゃあ見晴らしの良い処にある札所やけんど地震の隆起により出来た山にあるとは何とも壮大な年月を経てきた場所なんやねえ
ひたひたと迫り来る南海地震の際には立派に避難所の役目を担ってくれるろうき有難味もひとしおの札所やねえ
コメントをありがとうございます。
土佐の三大祭りの一つとされる「志那禰祭(しなねさい)」でも有名な土佐神社。
その真横に札所(善楽寺)が存在していることは、お遍路さんとご近所さん以外にはあまり知られていないでしょう。
この二つは、もともと「一つ」だったんですね。
生まれてからこれまで60数年間知らなかった事実に触れることができ、とても勉強になりました。
一方、南国市に位置しながら、ほぼ高知市ともいえる位置にある「禅師峰寺」。
ご覧いただいたように太平洋の眺望は必見です。
境内に映えているような様相をした奇岩群も必見です。
高知県内の他の札所では見られなかった光景に、とても驚くばかりでした。