この記事の公開日:2024.09.28
▲四国遍路はどこから始めても、また複数回に分けた区切り打ちでも構わないといわれている。
▲このシリーズでは高知県内の全札所16ヵ寺の内11ヵ寺(約118km)を、区切り打ちで巡ります。
▲今回は第25番札所:津照寺(室戸市)から訪ねました。(※地元では津寺と呼ぶ)
津照寺は 港を見下ろす丘の上に
▲室津港は海面が低く見えるが、これは地震のたび陸地の方が隆起したからである(※今も隆起し続けるジオパークの詳細)。津照寺はすぐの所に…
▲2分前後歩けば寺に辿り着く。
▲本堂はさらに125段の階段を上がった所に…
▲階段は港が眺められる急峻な造りとなっている。
仏の灯台とも呼ばれる 鐘楼門
▲階段途中にある朱塗りの鐘楼門はとてもカラフル。
▲鐘楼門とは、楼門でありながら2階部分に鐘を吊るした鐘楼堂兼用の門のこと。
▲ここの鐘楼門は沖に出た漁船からよく見えるため、別名「仏の灯台」とも呼ばれている。
▲弘法大師(空海)が自ら延命地蔵菩薩を刻み本尊とした津照寺は、海上安全の寺として信仰が篤い。「昔、難破しかかった土佐藩主:山内一豊公の船に僧が現れ、楫をとって室津港に入港した」という逸話がある。その後本尊は、別名:揖取地蔵とも呼ばれるようになった。(※本尊は通常時非公開)
▲寺は長曽我部氏の庇護を受けていたが明治の改革で没収され、一旦廃寺となった。後年復興を許されたが寺域は極度に狭められたという。
▲本堂は強風の影響を避けるため、火を点ける蝋燭立て・香炉などは内部に設置されている。ちなみに、本堂・大師堂(山門の横)とも昭和の時代に新築されたもの。
室津港竣工の影に 人柱となった人物が
▲山門横には、土佐藩主:山内家家臣の一木権兵衛を祀った一木神社がある。
▲権兵衛は野中兼山から命じられ、室津港港湾事業の改修工事に携わった人物。その改修では巨岩(お釜石)を取り除く難工事に遭遇…
▲そこで権兵衛は、海神に祈りを捧げ三年を費やし完成に漕ぎつけた。そして竣工翌日、海神との約束を果たすため海上に祭壇を設け、鎧兜や太刀を献じた後に切腹した。(※野中兼山・一木権兵衛の詳細)
▲右の岩は取り除かれた実物である。重機がない時代、困難を極めたことが伺える。
旅は まだまだ続く…
金剛頂寺は 山の上に
▲金剛頂寺は標高200mに位置し、西寺と呼ばれている(※東寺は最御崎寺)。また、室戸は捕鯨が盛んだったことから鯨寺ともいわれている。
▲まず山門を目指して、厄坂を130数段上る…
▲石段には、厄落し(男坂・女坂)の目印が設けられている。
▲山門をくぐると、そこは聖域となる。
▲さらに80数段上り境内に入ると、威厳のある本堂の姿が…
▲弘法大師(空海)が自ら薬師如来を刻み本尊とした金剛頂寺。(※本尊は通常時非公開)
▲今にも歩み出しそうな修行大師像。そして、一段ごとに埋め込まれた蓮の花の模様の階段。いずれも珍しい光景だ。
参拝時 基礎中の基礎知識とは
▲まず手水場手や口を洗い身を清める。
▲鐘楼堂では両手で撞木の縄を持ち、優しく撞くこと。(※札所によっては、鐘撞を禁止している場合がある)
▲線香は、一人3本を中心から外側に向かって挿していく。(※その他の参拝の作法とタブーについては「お遍路の旅(高知編)①ダイジェスト」をご覧ください)
▲ご本尊を祀っている本堂では、お賽銭は賽銭箱へ静かに入れる。決してお賽銭を投げてはいけない。
その他の建物について
▲本堂横には正倉院様式の霊宝殿があり、多数の重要文化財などを収蔵している。(※拝観は予約制)
▲本堂と反対方向を向いた大師堂。弘法大師(空海)が修行時に、魔性の類い(天狗など)を(県)西部の足摺岬に封印した後、二度とやって来ないよう監視するため足摺岬方向に向かって建立されている。
牧野富太郎博士が命名した 珍しい植物が この寺にも…
▲奴の群れが練り歩く姿に似ていることから名づけられたヤッコソウ。鐘楼堂裏の樹木の根元に自生(11月下旬が見頃)している。
▲椎の木などに寄生するため、葉緑素を持っていない(光合成をしない)珍しい植物。
▲県内では、西部と東部の一部地域のみに分布している。なお、県の天然記念物に指定されているので採集してはいけない。(※室戸では金剛頂寺と、前回紹介した最御崎寺の境内で見られる)
▲山門へと戻って行くと…
▲山門横を少し入ったところに絶景が見られる休憩所がある。ちなみに、最御崎寺・津照寺・金剛頂寺を合わせて室戸三山と呼ぶ。
海岸沿いには 金剛頂寺の奥の院が
▲金剛頂寺から4kmほど離れた行当岬に、行当不動(不動岩)がある。
▲明治初頭まで寺は女人禁制で、入山できなかった女性たちが寺の奥の院として納経したのが行当不動である。
▲また、ここは不動岩とも呼ばれ弘法大師(空海)が修行した地でもある。
▲これらの洞窟が弘法大師(空海)が修行した場所。ここでも御厨人窟と同じような神秘的な体験をしたという。
▲弘法大師(空海)はこの断崖絶壁の地で修行しながらも、毎日金剛頂寺まで行道していたと伝わっている。
コメント
室戸の街並みは割合平坦な所にあるというイメージやけど町なかにあるらしい津照寺は鐘楼門が沖の漁船から見えて灯台の役割があったというくらい高い場所にあるんやねえ
強風の影響を避けるためロウソク立てや香炉などが建物内部に設置されているとは如何にも台風銀座との通り名がある室戸のお寺さんやわ
津照寺の山門脇には一木権兵衛さんを祀った一木神社があるとか
その昔室津港の掘削工事を成し遂げ人柱として自刃した一木権兵衛さん
出先の長が一命を賭さなければならないほどの難工事に藩のお歴々どもは雁首そろえて何してたんやろう
命を下した藩の重責を担っていた者達も権兵衛さんの後追いをしたというような話は寡聞にして存じあげませんがねえ
土佐藩に限らずとかく藩庁の重役どもは命を下せば後は他人任せの高枕
出張所長が労苦を背負い込まされる構図はいつの時代でも変わらんねえ
はたして人間世界は進歩してきてるんやろうか嗚呼!
権兵衛さんの回向をしてきてくれた室戸の人々の心根には頭がさがるわ
金剛頂寺に限らず四国八十箇所霊場のお寺さんは歴史が古く山門本堂などの建物は地震火災台風などの災害に見舞われながら幾度も建て替えなどの手を入れ現在の姿を見せてくれていると思えば有り難いことよねえ
金剛頂寺は明治初頭まで女人禁制だったとのことやけど女性たちが寺の奥の院として納経した行当不動
ずっと女人禁制が決め式であっても知恵を巡らし信仰心を欠かさなかった女性陣がいたんや
いつの時代も女性のバイタリティは凄い!
海神との約束を果たすため自害した一木権兵衛氏の話には、やるせなさのようなものを感じてしまいます。
彼の功績は、出身地である高知市布師田の地でも住民たちに知られることはなく、
今は出身地の山中にひっそりと墓碑が佇んでいるだけです。
現に私も、今回の取材を通じて初めて彼のことを知ったぐらいです。
現代ではSNSを通じて、自己の「承認欲求を満たす」ため情報を発信し続ける行為が盛んですが、
そんなツールがない大昔には、真の功労者の名が偉大な功績の陰に隠れてしまうのが現実だったんですね。
タイムスリップしたような錯覚に陥る取材は、特に
「人間とは…」「何のために…」「誰のために…」などを考えさせられています。
そんな「地上の星」に少しでも光を当てることが出来れば、
前述の(私なりの)モヤモヤが晴れるのではないかと思いながら取材を続ける日々です。