
この記事の公開日:2025.10.05

▲別名:台風銀座と呼ばれ、荒々しい気候の影響をモロに受けてきた室戸市。

▲市全域がユネスコ世界ジオパークに認定されるほど海岸線は特異な景観を成し、それに沿うように国道55号線が走っている。

▲その国道沿いにある吉良川町で、町を見守る要に位置し信仰を集めるのが「御田八幡宮」である。

▲ところで、室戸では市内の「秋祭り」のことを「神祭」と呼ぶ。





▲神祭は舟形の山車や、花台と呼ばれる山車などが列をなして町中を巡行し…

▲八幡宮の境内では、花台を勢いよく回す「チョーサイ舞」やお舟と花台をゆっくり回す「笹舞」などが奉納される。(※詳細は後述)

▲これは、氏子域である傍士・上町・東町・中町(下町)・西町の各地域が競い合って、華やかで勇壮に舞って奉納する秋の祭りである。

▲今回は、2014年に国から「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択された「御田八幡宮の秋祭り」をご紹介します。(※撮影=2024.10.中旬)
あっぱれ、知恵が詰まった花台

▲花台は各地区から1基ずつ出し、提灯が150個ほど付いた山車のこと。2024年の山車には和紙の花飾り1,000本が飾られ、ことさら華やかな花台となるはずだったが…
(※山車1基当たり:重量=1t・高さ=MAX:10m)

▲花飾りに使用する竹ひごを生産する業者がコロナ禍の影響で廃業してしまったので、飾りつけることが出来なかった。(※花飾りは2年ごとに実施されている)

▲山車の担ぎ手になれるのは男性のみで、花台の中では「花台の唄」を奉唱し練り歩く。

▲担ぎ手(※担ぐ)といっても、境内で「チョーサイ舞」や「笹舞」を奉納する際のみ。町中では山車を人力で押しながら巡行している。

▲しかし自動車のように(クッション性に優れた)タイヤや、(操舵しやすい)ステアリングが付いているわけではない。向きを修正する際には、人力に頼らざるを得ない。

▲巡行ルートでは電線に触れないよう、竹竿の先で線を持ち上げるという行為が繰り返される。

▲ところで、山車は町が出来た順に従い「上町→東町→中町(下町)→西町」の順番※で練り歩く。(※以降に紹介する巡行や演舞の順番も同様)

▲町中を巡行した花台は、夕方になると御田八幡宮へ集結してくるが…

▲花台は鳥居より遥かに高い。ゆえに境内へ入る際、潜り抜けるには花台を低くする必要がある。

▲そこで、人力で高さ調整をすることに…。(※町中でこの方法をとらないのは、電線を潜る回数が多過ぎるため)
(宵宮) 遠心力で浮き上がった提灯が 輪を描く


▲神祭の宵宮で奉納されるのが、男たちが花台を担いで走りながら高速回転させる「チョーサイ舞」である。

▲この舞も、冒頭で紹介した順番※に従って奉納される。


▲掛け声と共に光の渦となった提灯が揺れる光景は「圧巻」の一言。

▲各地区共プライドを掛けて演舞するが、より「早く・長く・勇壮」に舞うのは意外と難しい。

▲ところで、この神祭に欠かせないのが藁草履である。しかし、製造を請け負っていた業者が高齢化などに伴い廃業してしまった。そこで今回は地元の女性たちが250足分を手作りし、男の祭りに一役買ったのだった。
(昼宮) 祭りを後世へ繋ぐ 子ども花台

▲実をいうと、神祭は華やかな舞台の裏で「深刻な問題」を抱えていた。

▲吉良川には古くから「若衆」という制度があり、各地区ごとに中学二年生になると地域の若い衆の仲間入りをするしきたりがある。

▲その(役割)階級は「小若衆→若衆→小頭見習い→小頭→兄若→中興」と分かれている。何年も経験を積みながら階級を最高位まで上げて、地元の伝統を継承していくのである。

▲祭りの準備は本来若手が携わる習わしだが、昨今少子高齢化や若者の町外流出が起きている。そこで、地元に残った兄若(30~40歳代)たちが行っているのが実情だ。

▲嘆いてばかりはいられない。伝統が失われていくことを懸念した祭りの保存会は「この伝統を後世へ伝えていこう」と、「子ども花台」を実施することにした。(※子ども花台のみ花飾りが施されている)

▲基本的に女の子は若衆に入ることが出来ないため、花台を曳ける貴重な機会となっているのも子ども花台なのだ。

▲ただし、子ども花台といっても重量・サイズ共相当なもの。ゆえに、子どもたちは綱で先導していく形をとっている。

▲現実には現在若衆の担い手が不足しており、若衆の友人・知人などに参加してもらっている。それでも人が十分集まらず、西地区は近年参加を見送っている。(※ゆえに、西地区の山車は映っていない)

▲こども花台は、後から追い着いた大人の花台をやり過ごしながら暫し休憩。

▲例え小さい花台であっても、向きを修正する際は人力だから大変だ。

▲そして子ども花台は、大人の事情により足元が運動靴になっている。
(昼宮) 花台が 神様(お舟)をお迎えし…


▲各地区の花台が傍士地区へ向かい、神様をお迎えする「お舟」。

▲細部にわたって施された舟の装飾は職人技の結晶で、内部の神棚には満潮時に拾った海の小石と海水が祀られている。


▲全基が揃うと、まずお舟を先頭に冒頭で紹介した順※に縦列する。

▲そして、神様を乗せたお舟の後を花台が列をなし、国道を通り御田八幡宮まで巡行して行く。


▲その様は、祈りが町をゆっくり包んでいくようだ。(※個人の感想です)
(昼宮) 御旅所で 最終の祈りへと…



▲御田八幡宮に戻った一行は「笹舞」を奉納。舟と花台が緩やかに回り奉納する舞は、宵宮の「チョーサイ舞」とはまた違った趣きがある。

▲ここでも、各地区が順番※に拝殿前で演舞し奉納していく。

▲式典の後は…

▲神輿や山車が海岸の御旅所へ向かい…



▲再び「笹舞」を奉納する。




コメント
室戸市内では秋祭りを「神祭(じんさい)」と呼ぶと始まる今回のブログ
高知県の中央部が生まれ在所の老拙も地元の神社の秋祭りは子供の頃から「じんさい」と呼び習わしてきており「神祭(じんさい)」は昔ながらの標準語だろうと思いこんじょったのよ
ところがどっこい
コメントをパソコンで書こうとして「じんさい」で変換すると「神祭」と出てこない
?
手元の紙の国語辞書で調べると「神祭(しんさい)」と濁音で始まらない表現で載ってたわ
早速パソコンで「しんさい」と入力変換してみたが「神祭」とは出てこず仕舞い
外つ国(とつくに)に端を発する機械物なら是非もないかと嘆息した次第よ
ちなみに「とつくに」も「外つ国」とは変換されず仕舞い
嗚呼 日本語いよいよ先細りに相ひ成り申し候哉と心細き次第に御座候
さて室戸市吉良川町の御田八幡宮の秋祭りは近年の人口動態変化の波を受け山車の担ぎ手不足や花飾り用の「竹ひご」の調達が困難になってきたり藁草履の確保にも悩まされてと舞台裏の苦労は並大抵じゃないろうに八方手を尽くしてしっかり先人から受け継いできた伝統を守りつつ現今の実情に合わした柔軟な態様をもって祭りを保存して行く取り組みをしてきているのが分かり苦労のほどがしのばれ有り難味もひとしおやねえ
どうか今後も世の中が進み変わりしていく中でもこの神事が続けて行ってもらえるよう祈るや切なる思いが募るわ
早速ご覧いただきありがとうございます。
日本語入力ソフトで変換できないフレーズって結構多いですよね。
そのために辞書登録機能が付いているとはいえ「何でこれ位のフレーズが誤変換になってしまうのか」というケースは少なくありません。
日々記事を書いていると、残念ながら頻繁に経験してしまうものです。
記事毎に辞書登録を更新し続けているのが実情です。
世界で最も難しい言語(のひとつ)が日本語っていうのも納得してしまいますね。
ところで、人口減少や高齢化に伴い全国各地で伝統の祭りが消滅したり、その危機に直面しているという現実が発生し始めて久しいです。
祭りや伝統は、マニュアルが書物として存在することはほとんどないため、一度途絶えてしまうと復活は困難を極めてしまいます。
地元の伝統を大切にすることとは「地元(育った地域)を愛すること」。
それが「現在抱えている問題(課題)を解消に導く一歩ではないか」と考える今日この頃です。