この記事の公開日:2024.08.26
▲南に雄大な太平洋・北は緑豊かな山並みが迫る高知市。
▲大きな地震発生の度、地盤沈下を繰り返してきた高知市街。
▲前記写真の地域には海抜0m(または準ずる)地帯が広がっており、水に脆弱。
▲高知県全域を見てみると年間雨量が国内最多。かつ、近い将来発生するといわれている「南海トラフ大地震」では甚大な被害が予想されている。
▲今回は地震と津波に視点を絞り、過去からの警鐘と心構えについて考えてみます。
津波は 見た目以上に油断できない
▲津波を目視してから逃げても間に合わないといわれるのはこのため。また、津波の前に必ず潮が引くとは限らない。断層の傾き・方向・発生場所により、いきなり大波が押し寄せることがある。
▲津波は第一波より第二波・第三波の方が高くなるといわれるのはこのため。
▲通常の波は風で水面が揺らぐため発生しているが…
▲津波は海底で発生したエネルギーが海中から水面へ伝わり、それらの全エネルギーが陸地へ押し寄せているということ。
▲見た目より遥かに強いエネルギーを保ったまま、陸地を襲っているのである。
▲そして陸地では、津波のエネルギー+破壊された障害物+津波のエネルギー+次の障害物…などが加わりながら、次々と破壊していくことになる。
津波避難タワーの設置数が 全国2位
▲高知県には、津波避難タワーが全国(550基)の1/5以上(123基)設置されている。(※1位=静岡県/2023年4月現在)
▲郊外や郡部などにおいて、高所への避難が困難な場合の緊急避難場所となるのが「津波避難タワー」である。
(一例) 種崎公園津波避難タワーの場合
▲高知市桂浜北側の対岸:種崎海水浴場の近くに、2014年3月市内初となる津波避難タワーが設置された。それが「種崎公園津波避難タワー」である。
▲施設は高さ12.5mで、想定収容人数619人・想定浸水深4.5mとなっている。
▲大海原のすぐ近くに設置されているため、避難者に津波が見えにくい壁やテント張りがしやすいなどの配慮がなされている。
▲通常時でも、施設の屋上へ上がって周囲の景観を楽しむことが出来る。(※一般的には、通常時屋上へ上れない避難タワーが多い)
▲展望塔としても活躍する施設だが、イザと言うときには命を守る大切な施設に変身する。
▲しかし、本当にその重要性が分かるのが「大惨事」のときというのが、何とも皮肉な事実である。
自然災害伝承碑から学ぶ 過去の戒め①
▲日頃よく目にする石碑。その中で、大規模な自然災害の様子や教訓を後世に伝えるために造られたものが「自然災害伝承碑」で、かつての被災地に設置されている。
▲例えば、土佐市と須崎市を半島沿いに結ぶ「横浪黒潮ライン」の土佐市宇佐町の漁協前には、昭和南海地震(1946)の様子を今に伝える「震災復興記念碑」が建立されている。
▲信号待ちで停車でもしない限り見過ごしてしまいそうなほど、辺りの景色に溶け込んでいるが…
▲当時、地域の8割が被災してしまったが、死者・行方不明者は2人だったといわれている。碑に刻まれた「犠牲者ノ僅少ハ コノ戒ニヨル」(欲を棄てて 逃れた者が 命助かる)の一文は、現代の私たちに日頃の心構えを説いているようだ。
自然災害伝承碑から学ぶ 過去の戒め②
▲香南市香我美町:国道55号線沿いに飛鳥神社がある。その一角には、安政南海地震(1854)の様子を今に伝える「安政地震の碑」(高さ2m)が建立されている。
▲碑に刻まれた2文字「懲毖」とは肝に銘じることという意味。その下方には「今の人々 宝永の変を昔はなしの如くおもひて 既に油断の大敵にあひぬ」という当時の人々の嘆きが刻まれている。
▲この地で起きた「宝永の大地震」(1707)の被害を、昔話として油断していたことが大きな被害につながった。「安政大地震」(1854)の被害を、昔話として油断してはいけないという戒めになっている。
天災は忘れられたる頃来る
▲「天災は忘れられたる頃来る」は防災に関する記述で用いられる警句で、寺田寅彦の言葉である。「験潮儀」を用いた全国港湾の潮位観測調査では、高知県下の港湾をほぼ独りで受け持ったという。
▲寺田寅彦(1878-1935)=物理学者・随筆家(ペンネーム=吉村冬彦)・俳人。東京都内で生まれ、3歳以降は父親の故郷である高知市内で育ったが…
▲熊本の高校へ入学し、夏目漱石から英語を田丸卓郎から数学と物理学を学び、生涯この2人を師と仰いだという。後に(現)東京大学の教授となり「日常の様々な現象を具体的に分析し、その法則性を発見する」ため生涯を捧げた。
▲ところで、寅彦が少年期を過ごした家は高知城近くにあり、現在は「寺田寅彦記念館」として無料で(見学)開放されている。(※高知市史跡に指定)
▲家屋は高知市空襲(1945.7)により勉強部屋以外が焼失したが、後年「家相図」をはじめ寺田家の人々などの「記憶」や「写真」を参考に復元された。
寺田寅彦が 後世に伝えたかったこと
▲「よさこい祭り」や「日曜市」が開催される高知市追手筋。一角に寅彦の銅像が佇んでいる。彼が生前書き記した書に次のような一節がある…
▲文明が進むほど、天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、それに対する防御策を講じなければならない筈なのに、それが一向に出来ていないのはどういうわけか…
▲それは 天災が極めて稀にしか起こらないので、人間は前車の転覆を忘れた頃に後車を引き出すようになるからであろう -寺田寅彦著:天災と国防より抜粋・リライト-
コメント
巷間怖いものの筆頭に挙げられてきた地震
世に何々地震と名を残す大地震では人の一生の生存期間を遥かに超える間隔で発生する地震があれば一方平均寿命をまっとうする間に何度か行き会う間隔のものがありと本邦では何処で暮らそうとも大きな地震にはまずいつかは何処かで行き会うと覚悟して生きて行くしかない運命か
観念して待つほど悟りをひらいているわけではない身としては先人の教訓に耳を傾け道しるべとして生きて行くのが賢明なんやろうけど
日々の暮らし向きに取り紛れてどこか上の空・どこ吹く風の風情で消光するが我ら衆生の常
せめて関東大震災に由来する防災の日にはフンドシを締め直す機会とせねば我らが先人に申し訳が立たず冥利がわるいよねえ
防災の日を前にして地震ではないにせよ折しも台風10号が襲来しあろうことか日本列島を西の端から東まで総ナメにするかと思しきコースを辿りかねない予報がなされており8月末は心穏やかには居られない日々となってきたねえ
家屋敷持って逃げるわけにもいかず難儀なことよ
自然災害伝承碑は先人が後世の人々に遺してくれた命懸けの体験に基づく教訓・警鐘よねえ
香南市香我美町の飛鳥神社にある安政南海地震の碑に刻まれた「肝に銘ずぜよ」との「懲毖」という言葉は初めて目にする警句やったわ
徒やおろそかに出来ん重い言葉ぜねえ
先人が遺してくれた各地の自然災害伝承碑を訪ね歩いて静に頭を垂れてみたくなつたよ
寺田寅彦博士の防災の警句は老生「天災は忘れた頃にやってくる」と聞きおよんできていたが実際の文言は「天災は忘れられたる頃に来る」なんやねえ
意味は同じでも実際の文言には日々の心構えに怠りを来しがちな我ら市井の徒や防災対策を担う職責の者達に対する凄みのある悲痛な警鐘の文言だと感佩した次第だわ
ご覧いただきありがとうございます。
現代の科学をもってしても、いつ襲ってくるか分からない大地震。
それだけ脅威なのですね。
どんなに対策や準備をしていようが、それに遭遇するとひとたまりもありません。
では、人々は大自然の前に成す術がないのでしょうか。
近年の日本国内だけをみても、私たちは「阪神淡路大震災」「東日本大震災」「能登半島地震」などを経験してきました。
それぞれの災害の検証を踏まえ、次に活かすことが出来てきたのでしょうか。
それは、遥か昔から確かに起きてきました。
そのたび、私たちの自然に対する構えを試されているような気がします。
先人たちが命を以って大事な教訓を私たちに遺してくれているのに、
それを何事もなかったかのように知らんそうするなんてあり得ませんね。
「天災は忘れたる頃に来る」簡単なようで、その教えを実践出来ない弱さが人間にはあります。
それを呼び起こすきっかけになればと、今回のテーマに挑んでみました。