この記事の公開日:2024.09.10
▲弘法大師(空海)が開創した四国八十八ヵ所霊場、別名四国遍路。人間が持つ88の煩悩を一つずつ消しながら心を清めて行く、約1,400kmに及ぶ旅のことである。
▲その四国遍路はどこから始めても、また(複数回に分けて巡礼する)区切り打ちでも構わないといわれている。
▲このシリーズでは、高知県内にある全札所16ヵ寺の内11ヵ寺を区切り打ちで巡ります。
▲四国遍路の大きな特徴の一つに、特に宗教・宗派を問わない点が挙げられる。札所を訪れる人々の理由は願掛けのためや観光のためなど様々だが、共通しているのは心の安らぎを求めてだろう⁉
▲このシリーズでは、お遍路さん以外にも誰もが気軽に旅を堪能できるよう札所の近隣で見られる絶景ポイントも織り交ぜながら、秋から冬の高知旅をご紹介していきます。
▲第一弾は、巡礼の旅における「〇〇は何のため!?」「〇〇はどうすればいいの⁉」など、旅に役立つ基本情報についてです。
突如現る 室戸青年大師像
▲室戸岬を国道55線沿いに北上していると、突如白い大きな像が…。それが室戸青年大師像である。
▲弘法大師の弘法とは教え(法)を弘め人々を救うこと、大師とは偉大な師ということ。空海の生前の徳を称え、死後に醍醐天皇から与えられた贈り名である。
▲像は室戸の地で修行中の若き弘法大師(空海)の姿で、1984年(S59)に寄進によって建立された。(※H21m・台座を含む)
▲足元は四国の形になっていて、札所の位置も表している。
空海と名乗るきっかけの地とは
▲室戸青年大師像のすぐ近くに空海が修行した洞窟がある。
▲それが、若き日の空海が生活をしていた御厨人窟と、修行をしていた神明屈である。
▲この2つの窟を合わせて、みくろ洞(またはみくら洞)という。
▲みくろ洞は波の浸食で地層が削られた海食洞で、かつては波打ち際にあった。現在は海抜10mだが、過去の度重なる巨大地震により土地が隆起してきた。
▲ちなみに御厨人窟内で聴こえる波の音は、日本の音風景100選に選ばれている。
▲空海は修業中に、明星が口の中に飛び込んでくるという神秘的な体験をしたという…
▲その後、この場所から見た空と海だけの景色に感銘を受け空海と名乗るようになった。
▲みくろ洞前の岩場には、かつて空海が修行時に入ったとされる行水の池が今も遺っている。横の岩が滑らかなのは、背中を擦りつけたからといわれている。
札所巡り 基礎中の基礎知識とは
▲ここでは参拝の作法とタブー、そして遍路旅のトリビアなどの一部をご紹介しよう。
▲境内は聖域となるので、山門では左側に立ち「これからお参りさせていただく」という意を込め一礼すること。(※帰る際は、振り返って一礼する)
▲僧侶が身にまとっているカラフルな袈裟。別名田相衣といい「徳※」を蓄えるという意味がある。
▲徳を積むことを田植えに喩え、袈裟の内に広がる田んぼに苗を植え続けることで、豊かな幸せが得られるといわれている。
▲一方、参拝者が首から下げたものを半袈裟という。略式の袈裟だが、れっきとした信仰の品なので床に直接置いたりして粗雑に扱わないこと。
▲手や口を洗い身を清める手水舎。左手→右手→左の掌→(柄杓の水を左手ですくい)口→残りの水を柄杓の柄に流して洗う。ちなみに龍の口から水が流れ出るわけは、龍が水を司る神様として崇められていたから。
▲寺の境内で見かける鐘楼堂。鐘を一度だけ撞いて、仏様に「これからお参りにまいります」という合図をする。ゆえに参拝後に撞くのは出鐘(出金)といわれるご法度行為となる。(※やりがちなミスなのでご注意を)
▲合掌には相手に敬意を捧げるという意が込められており、仏様(右手)と自分(左手)が一つになるといわれている(※お寺では手を鳴らさないこと)。なお日常生活の「いただきます」「ご馳走さまでした」の合掌には、「農家・調理人・多くの生命」などへの感謝の思いが込められているのである。
▲弘法大師(空海)の分身ともいわれるのが金剛杖である。
▲橋を通過する際は、下で弘法大師(空海)が休まれている可能性があるので杖をつくのはタブー。
▲金剛杖の上部は仏様の身体を表しているので掴むのはタブー。
▲昔の遍路旅はとても過酷ゆえ、行き倒れることが珍しくなかった。そこで墓標代わりとして金剛杖を活用していた。ちなみにお遍路さんの白装束は、覚悟の死装束だったことの名残りである。
▲菅笠に書かれた同行二人という文字。遍路旅は人数に関わらず、常にお大師様と二人連れという意味がある。
▲地元の人がお遍路さんに食べ物を振舞ったり、宿を提供したりする風習をお接待という。自分の代わりにお参りを託すという意も込められている。
各々の形で修行の旅を行く
▲これらのカットは、巡礼の基本となる歩き遍路である。
▲1時間に4kmのペースで、30km/日が目安といわれているが…
▲あくまでマイペースが重要。しかし現実的には各々の体調や事情により、移動手段と費やせる日数は様々…。
▲ゆえに、自転車(バイクを含む)を使用したり…
▲自家用車やタクシーなどの車を利用したり…
▲列車を利用したり…ということもあり得る。
▲いずれの場合も、心に疲労が蓄積しないよう余裕を持って旅をすることが不可欠である。
▲近年、外国からのお遍路さんを目にすることが多くなった。ある調査によると「海・山・川が一体となった大自然」と「人々とのふれあい」が堪能でき「大都会や、有名処とは違う日本に出逢える」ことが最大の人気を博しているそうだ。
コメント
どんな名人上手でも間違いをすることがあるという意味で使われてきた「弘法にも筆の誤り」やけど愚老はかねてから「にも」から「に」を省き「弘法も筆の誤り」と言い習わして失敗などの言い訳にさんざん便利に使わしてもらって何度も救われてきたことか
畏れ多くバチあたりなことじゃわねえ
この諺から失敗をしたことに対する対応の大事さをも読み取っていたならもう少しましな人生を送れたかも知れざったと慙愧にたえませぬ
空海さんは平安時代初期の僧で高野山の開祖
遣唐使として唐に渡り修行してきたお坊さん
何とか天皇や橘の何某と並んで三筆のひとりに数えられた書の名手
あちこちに空海さんの立ち回りにまつわる伝説が残されている他なんと言っても四国の修行遍歴跡が四国八十八箇所霊場として今に至るまで信仰を集めている等
信仰心の薄い老生には空海さんについて通り一遍の浅い知識しかなく密教がどうのといわれると皆目判らずじまい
室戸のみくろ洞からの景色が名前の由来になっていると聞いても
空と海とのあいだには~
などと中島みゆき嬢の歌詞がまず思い浮かぶ俗な衆生なんでねえ
今回の札所巡礼参拝の作法・御法度などは恥ずかしながら無知蒙昧
そもそも信仰心があやしく足元も覚束なくなりおいそれとは参拝に出かけることも躊躇せざるを得ない身の上
せめて次回以降の最御崎寺からのお遍路旅を映像で楽しませてもらうよ
コメントをありがとうございます。
空海と名乗るきっかけとなった「御厨人窟」からの眺めはきっとインパクトがあったことでしょう。
「空」と「海」の間には、いったい何がある(入る)のでしょうか⁉
そして弘法大師は若い頃(修行僧の頃)、室戸岬の「みくろ洞(御厨人窟)」で不思議な体験をして悟りを開いたといわれています。
その不思議な体験とは、金星が口の中に飛び込んできたというものです。
このエピソードは、御厨人窟と同様の修行の地であり、かつ「金剛頂寺」の奥の院でもある「不動岩」でも体験したそうです。
「不動岩」については、“シリーズ3”の中でご紹介の予定ですので、ぜひご覧ください。