この記事の公開日:2024.08.13
失った古里を忘れない… 開拓記念碑
▲前回「掩体は語り継ぐ」の記事では「軍用飛行場としてほとんどの田畑が接収され、やがて住民たちは古里を離れていき三島村は消滅した」と紹介した。
▲村はその後、近隣の「田村」「立田村」と合併し日章村となった。戦後を迎えると住民たちは村の再興に勤しんだが「全土地払い下げ」の願いは叶わなかった。
▲その再興の沿革と住民たちの思いを未来へ語り継いでいく「記念碑」が空港南側に建立されている。
▲文面は「思えば半生 時の流れには抗し難し 古里再び旧に還らぬ いまはただ来る世の礎石となりせめて学究の若者達の開ける道と県土夜明けの空の道とならんことを」の言葉で締めくくられており、お上のやり方に対する住民たちのもどかしい思いがあったことを物語っている。
終戦間際に散った52名の生命 “白菊隊”の碑
▲偵察乗務員の飛行訓練を主な目的とした飛行場(※現:高知龍馬空港)には、機上作業練習機「白菊」55機が配置されていた。
▲戦争末期に沖縄戦が激しくなった昭和20年3月、神風特別攻撃隊「通称:白菊隊」が結成され、5月~6月に練習機「白菊」26機が各々爆弾2個を抱きこの滑走路から出撃した。
▲しかし、52名が二度と帰ることはなかった。終戦まであと2ヵ月の出来事だった。
▲交通量が多い県道14号線脇で、ひっそりと佇む鎮魂のための碑。
▲そして、先ほどの「高知海軍航空隊の碑」から北へ7km、田園の中(南国市包末地区)には「白菊慰霊碑」が建立されている。
▲昭和19年10月14日、練習機2機が訓練中に接触事故を起こし12名の若い生命が失われた。
敵軍機を迎え撃った トーチカ
▲飛行場周辺には「トーチカ」が複数設けられていた。「トーチカ」とは、敵の攻撃に備えたコンクリート製の小型防御陣地で、中から機関銃で撃つためのものである。実際にグラマン戦闘機などを撃墜していたという。
▲現在、(高知高専南東の)物部川堤防沿いで見ることが出来る。しかし、夏場は周りに草が生い茂り場所を確認するのは難しい。
▲しかし、秋から冬場にかけて堤防の草刈りが行われると…
▲ご覧のように「トーチカ」が姿を現す。
▲側を流れる物部川(河口)の砂利を練り込んでいた。頑丈だったとはいえ、攻撃を受けると「ひとたまりもない」と思えるほど簡素に見える。(※機関銃と射撃者のみのスペース)
連合国軍上陸に備えた 四国防衛軍のトーチカ
▲実は、沖縄に続いて連合国軍が上陸する地点として県中央部が有力視されていた。そこで日本軍は、東は「物部川」から、西は「仁淀川」までの海岸線に防御陣地(トーチカ)を設けた。
▲陣地は海岸線に複数箇所造られたが、現在遺っているのは此処のみである。(※終戦時まで海岸に防潮堤は無かった)
▲この「トーチカ」の大きさは8×10×4mもあり、機関銃や小銃を撃つ「銃眼」や大砲を撃つ「砲口」が複数設けられていた。
終戦間際に突如襲われた 上岡地区の悲劇
▲高知市から国道55号線を通り「室戸方面」へ行くとき、物部川を渡っていると右手方向に見えるのが「上岡山」である。
▲「上岡山」の対岸(南西)にあるのが高知龍馬空港。その前身が「高知海軍航空隊」の偵察要員育成のために開設された「日章飛行場」だったことは既に紹介済み。
▲「上岡山」南側周辺の田園地帯が上岡地区である。この地区は終戦を迎える3ヵ月前、B29により空爆を受けた。(※昭和20年5月3日午後3時15分)
▲被害が拡大した理由の一つに「対岸が海軍航空隊の飛行場だったため、練習機の爆音や飛行場への来襲への慣れが住民たちの避難を遅らせた」ことが挙げられている。(※練習部隊は、既に沖縄戦に動員されておりB29を迎撃する余力はなかった)
▲空爆の被害は、「上岡山」麓にある「上岡八幡宮」も受けてしまった。
▲爆撃の影響で玉垣が撃ち砕かれた痕跡が今も遺っている。(※玉垣とは、神社の境内を囲っている柵のこと)
▲これは「上岡山」の南西側にあたり、橋が開通するまでは対岸の氏子たちが舟で渡ってきて参拝するための参道だった場所。今は、ひっそりと「灯籠」や「狛犬」「鳥居」などが往時の姿で佇んでいる。
▲「上岡山」の近くにて2025年春の開通を目指し工事が進む「高知東部自動車道」。その脇の田んぼの一角に柱が建っている。
▲上岡八幡宮へ真っすぐ続く参道の鳥居である。鳥居は(垂直状)柱だけが残り、(水平状:上から)笠木と島木、その下部の(水平状)貫が爆風で吹き飛んだ状態が遺されている。
▲2016年、高知東部自動車道の建設工事に伴い現在の場所に移設された。落ちた部分も一緒に設置しており、戦争遺跡として後世に平和を訴え続けている。
▲他にも、住民たちはこの地区に起きた「悲劇を後世へ語り継ぎ、犠牲者の供養と平和を祈念」して、集落の中に「被爆の碑」を建立している。
コメント
東京・大阪方面ほか県外との往来の利便性が高く折り節外国との行き来にも利用されているやに聞く高知龍馬空港
さきの大戦に際し軍用飛行場として村ごと接収され戦後も復活が叶わなかった三島村に降りかかった時流の巡り合わせ
特攻に練習機まで駆り出し多くの前途ある若い命を南海の空に散らした白菊隊の恨事
敵軍上陸に備えた我が国防衛軍の迎撃・防衛陣地跡
のどかな田園地帯にもかかわらず軍用飛行場近くに所在していたばかりに音に聞く空の要塞と呼ばれたB29の空爆を受けた痕跡が今に残る上岡地区と鎮守の神社
くにを隔てること遙か異国の地で撃墜されたアメリカ軍戦闘機グラマンの機体の残骸
戦後も世界のあちこちでは紛争が続くなか僥倖にも平和に暮らせてこられた我が国にあって大東亜戦争の痕跡が閑寂として残る高知龍馬空港周辺
時代に翻弄された数多の先人の惨苦は想像を絶し戦後の恩恵を受けてきた身の老生は通り一遍の軽々しい弔慰の言葉を口にはできない
ただただ一掬の涙を奉じかの時代をかの歴史の流れを熟思黙想するばかり
いつもご覧いただいた上、さらにコメントをありがとうございます。
戦争をリアルタイムで経験していない私が、どのように触れればよいのか迷いました。
自分のイデオロギーに基づき「〇〇ある(する)べき」というのは「違う」という考えに至りました。
「文言一つ・語尾一つ」が異なると意味合いが異なって来る日本語。
美しくもあり、難しい日本語の校正を何度も繰り返しました。
ご覧になった方一人ひとりが何かを感じ取っていただけたなら幸いです。