この記事の公開日:2024.10.06
▲四国遍路はどこから始めても、また複数回に分けた区切り打ちでも構わないといわれている。
▲このシリーズでは高知県内の全札所16ヵ寺の内11ヵ寺(約118km)を、区切り打ちで巡っています。
▲今回は第27番札所:神峯寺(安田町)を訪ねました。(※写真は道路の奥が金剛頂寺方面)
▲神峯寺は、標高が約450mの高所に建っており、参道は急な坂がつづら折り状に1km以上も続く別名:遍路ころがしと呼ばれる難所だった。それゆえ、昔は麓の前札所(※明治の神仏分離時に廃寺)で納経を済ませるお遍路もいたという。
▲その参道も、現在では小型バスも通れるような道路に変化を遂げた。国道55号線から参道の途中までは片道一車線の道路が続く…。(※ただし、参道の途中からは車一台が通れる位の道幅に減少する)
▲1975年(S50)寺の新住職は着任直後、麓から寺へ上がる車道を作るため、建設業社長の協力を得て参道の整備(改良)を進めていった。
▲道路は1989年(H元年)に町へ無償提供され現在に至っている。
神峯寺は 美しさの裏に数奇な運命が
▲駐車場を少し上ると、隣り合った二つの階段が見えてくる。まずは今回の目的地(札所)である神峯寺を訪ねてみよう。
▲寺は、勅命を受けた行基が十一面観世音菩薩(※通常時非公開)を刻み本尊とした。神仏合祀し開創した後、弘法大師(空海)が観音堂を建立したとされている。その後寺は大火により焼失したが、やがて再建され長きにわたり神仏合祀の霊場として崇められてきた。
▲しかし、明治の神仏分離令によって神峯神社だけが残り寺院としての部分は廃寺となり、本尊と札所はしばらくの間金剛頂寺(室戸市)に預けられていた。昭和になって再興を果たすと、それまでの神峯から神峯寺と称するようになった。
▲土佐の名水40選に選出された湧水19箇所の内の一つ神峯の水。
▲本堂まで続く石段脇(※山の斜面)には、ツツジ・サツキ・モクレンなどが美しい日本庭園が広がっている。前述の参道が完成した後住職は信仰者の奉仕を得て、さらに堂塔周辺や庭園の整備を行っていったという。
▲今にも歩き出しそうな大師像。
▲仁王門から約160段の石段を上がった所にある本堂。
▲本堂から少し離れたところ(※別の敷地)にある大師堂。
▲ところで神峯寺は、岩崎彌太郎(三菱財閥創始者)の母親が息子の開運を祈願して熱心に参拝したことでも知られている。母親は安芸市の自宅から20㎞を歩いて、参拝を21日間も続けたといわれている。
神峯寺の奥の院である 神峯神社
▲左は仁王門横の階段から続く神峯神社への参道(石段)である。右は後述の空と海の展望公園へと続く道路だが、実は神社へは車道を抜けて上にある駐車場まで行き、横から山道を降りるのが簡単である。
▲山道を下りてすぐ目前に現れるのが石段。正面の建物は、拝殿を兼ね備えた珍しい本殿である。
▲日本で最も古い社に属する神峯神社は、元々神峯寺の前身である観音堂との神仏習合の施設だったが、神仏分離令(明治初期)により神社のみが残った。その後寺が再興されてからは神峯寺の奥の院という位置づけになっている。(※本殿は高知県保護文化財に指定)
▲険しくかつ荒々しい光景が広がる神社周辺。見応えは十分あるが、何度も訪れるにはちょっと勇気!?がいるかもしれない。
今回の旅の最後は (超)絶景が見られる公園へ
▲駐車場横の道路を(※太平洋を背に)道なりに上って行くと…
▲やがて三叉路に辿り着くが、案内板に従って道なりに上って行くと…
▲樹々の間を歩くこと約20分。突如目の前に現れたのは茶畑の光景…。(※後で分かったことだが、この辺り手前まで車で上って来ることも出来る)
▲疲れが和らいだ瞬間の光景がこれだ。そよ風の音色が妙に心地よかった。(※個人の感想です)
▲茶畑の横にある樹木間の山道を歩いて行くと、再び三叉路に遭遇する。案内板は無いので地図の記憶を頼りに左側(東方向)を進んでみた。
▲山道脇には何やら人工物がちらほらと…
▲間もなく現れた三叉路。しかし、ここには案内板があるので一安心‼
初めて訪れた地(絶景)に 終始興奮気味
▲森の中に突如現れた、辺りの景色に違和感が半端ない⁉セメント造りの巨大な塔。これが神峯山・空と海の展望公園といわれる由縁のシンボルである。
▲6階建て(H23m)のビルに相当する高さがあり、もちろんエレベーターはなく、螺旋階段を上っていくのみ。山の頂上にあるため風当たりが強いので「ポキッと折れそう」などと妄想を抱きつつ、上までひたすら上って行った。
▲昇りつめた先に広がる360度のパノラマビューは一瞬言葉を失うほど‼(※個人の感想です)
▲看板によると、実際には西側は県西南端の足摺岬も見えているそうだ。(※OIRAには分からなかったが…)
旅は 大日寺と国分寺へと続く…
▲このシリーズの旅は、いよいよ県東部から県中央部へと入って行きます。
▲景色は県東部とは随分異なり、札所の周辺には平地の住宅地や田園が広がっています。
▲旅は今回で一旦区切り打ちとし、次回からは季節ならではの話題をご紹介。巡礼の旅の続きは11月中旬から再開の予定です。
次回からは 出掛けるのに間に合う!? 秋の話題を
▲次回は秋の話題(第一弾)として、毎年10月下旬~11月上旬にかけて奈半利町の山間で開催される案山子とコスモスのイベントをご紹介します。
コメント
なかなか、綺麗な仕上がりですね!
早速ご覧いただきありがとうございます。
写真の色にはこだわっているのでお褒めいただき嬉しいです。
どんな高級なカメラといえども機械的な仕組みにより、再現性に於いては限界があります。
そのため、撮影したままでは使用に耐えられない場合が多いのです。(※気にしなければそれまでですが…)
その点人間の目のフィルターはとても優秀で「どんなカメラよりも優秀である」と言われています。
出来る限り綺麗な画像にレタッチ(修整)することで、
ご覧になった方がイメージを掴みやすくなるよう心がけています。
県東部から始まる高知の札所は室戸地区でも自然災害に耐えられる山中高地に建立されているけど安田町の神峯寺はまた一段と標高がある場所に開創されていていかにも巡礼修行の地に赴く処という風情がある特徴的なお寺さんやね
明治政府が欧米の屈強さに怯え血迷いその強さの源泉を一神教体制と愚考
よせばいいのに欧米を模倣するとして武力権力によらず権威の源として浮世と懸絶していた天皇さんを生臭い世界に引っ張り出してきて一神教の神に対抗さすという愚挙に出たのが運の尽き
案の定天皇さんを神に祭り上げたことは後の日本の歴史に好ましくない影響を与えた
とは独自の見解をもって聞こえた精神分析者の意見で老生はかの説に強く納得するものでござんすよ
行基が勅令で刻んだ本尊や弘法大師が建立した観音堂などをもった古刹の神峯寺
神仏合祀で人々に長く敬われてきていたものをバチ当たりな明治政府の神仏分離令により廃寺の憂き目をみていたとはあんまりな
再興を果たした今の神峯寺は日本庭園がよく手入れされていて穏やかに佇む様は心安らぐ景色やね
しばしの登山が必要らしい神峯山・空と海の展望公園の展望塔からの眺望は高知県内でも屈指じゃないの
見事やね
足腰の弱ってきた老拙には高所の神峯寺神峯神社へのお参りはどだい覚束ないけんどブログ主のおかげで行った気分登った気分
ご利益ご利益
古い建物は「よくぞ風雨に耐えてきたものだ」と言いますが、それだけではなかったんですね。
そこには、時代に翻弄されてきた歴史が隠されていることを
訪れる人々はどれだけ理解している、いえ理解しようとしているのでしょうか。
今回のシリーズの取材を通じて、これまでマスコミが伝えてこなかった隠された真実をたくさん知ることが出来ました。
そして、札所の中でも突出した美しさを誇るといわれている神峯寺の日本庭園。
その見事な庭園の手入れを新任の住職が担っていたことに驚きました。
寺までの道路の改修工事もしかり。
何時の時代も、新しい風は行政からではなく民間から吹くものなんですね。